新・UFO入門: 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか (幻冬舎新書 か 3-1)

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  • 幻冬舎 (2007年5月1日発売)
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UFO問題についてもう一度洗いざらい整理して、その本質に迫っていこうという本。幻冬舎からのGS新書で出ている。

実のところ、UFO問題はマスコミの力と人の信心に帰着する。「日本人は、なぜUFOを見なくなったのか?」それは、「テレビでUFO特番をやらなくなったから」というなんとも腑抜けしてしまう答えである。
日本やアメリカではUFOや宇宙人目撃情報が減っている反面、中南米、ロシアでは増えている。しかもブラジルでのUFO関連事件はひじょうにインパクトの大きいものが多い。けれども、世界的に重要視されないのは、そもそも発展途上国の事件など信じるに値しないというおもにアメリカ人の価値観によるところが大きい。要は、明らかな捏造も含めて、虚言・妄想・幻覚の類いがほとんどすべてなのである。

そもそもUFOが巷に話題になる発端となったのは、1947年にケネス・アーノルドが飛行中にUFOの編隊に出くわした、という報告からである。UFOという言葉が定着する1970年代以前は、「空飛ぶ円盤」と呼んでいたことは多くの人が知るところである。
しかし、アーノルドの報告によれば、「飛行機にしては尾部がない」「受け皿かレコードを半分のところでぶつ切りにした形」「凸の形に盛り上がったパイ皿を半分に切った形」と表現している。どうやら半円形のようである。そして、その独特の飛び方を、「丸い皿を放り投げ、水切りしたような飛び方」と表現している。この例えがマスコミによって、「丸い皿の形をしている」と誤って伝えられたことから、「空飛ぶ円盤」が定着したのである。アーノルドが見た物の正体は、おそらく鳥の群れだったのだろう。
その後、テレビや映画で空飛ぶ円盤が登場するにしたがって、円盤の目撃例は増えていく。

日本でもCBAというUFOカルト団体があった。アダムスキーの信奉者によって主催されたUFO研究団体であるが、後にカルト的な性格をあらわにしていく。こうした日本のUFO研究事情についてはかなり詳しく記されている。1960年代には空飛ぶ円盤は先進的な未来文明を示すものであって、三島由紀夫をはじめとして当時の先鋭的な知識人は、まじめに興味の対象としていたのだ。

超能力についてもそうだったが、UFOと宇宙人についても、手を変え品を変え、マスコミは共同幻想を創り出していく。そして、それはある種の人々の求めるものであることにちがいはない。発展途上国ではこの種の捏造がこれからも続くだろう。あからさまな捏造を既に知ってしまった先進国の人々の幻想はこれからどこへ行くのだろうか? いや、きっと手を変え品を変え、人類が憧れと畏怖の眼差しをもって大空を眺め続けるかぎり、UFOはなくなったりしないのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: と学会
感想投稿日 : 2008年10月13日
読了日 : 2010年11月6日
本棚登録日 : 2008年10月13日

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