街場の読書論

著者 :
  • 太田出版 (2012年4月12日発売)
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街場の読書論

知の巨人・内田老師のレビューから始まり、後半は教育論・著作権論に繋がる。

私の本棚は面白かった。内田少年が大人になるまでにどんな読みものを読んできたのか、小説を通じて、未知の人の身体を通じて世界を経験することに深い愉悦を感じる。自分が生身の身体で世界を享受するものとは違う仕方で私より深く、貪欲に世界を享受してる身体に同調する時、小説を読む愉悦がある。本を読んでいるうちに腹が減るとかビールが飲みたくなるタイプの文章は、文章としての出来が良いと言える。無論、読んでいるうちにその本が読みたくなるレビューというものもそうなのだろう。チャンドラーの『長いお別れ』を読んで高校生の時にギムレットを知った内田老師は高校生にして「夕方5時のロサンゼルスの開いたばかりの涼しいバーカウンターで、一日最初のギムレットを呑む」時の愉悦を先駆的に体験し、そして大人になって初めてギムレットを呑んだ時に、その美味のうちの75%はフィリップ・マーロウからの贈り物として体験したのである。
 私も村上春樹の『1973年のピンボール』や『風の歌を聴け』を読んだ時の先駆的に体験した芦屋の浜辺の夜風やジェイズバーまでの陰鬱な雰囲気を、後になって体験したときに、その愉悦の大半は村上春樹からの贈り物であると思った。受動的な活動―例えば映画とか読書とか―で先駆的に体験した感動をストックしていくと、いざ自分がその場に行って体験した時に、レバレッジをかけたように愉悦が倍増するというのは、インドアとアウトドアの活動の架橋になると思う。

 池谷さんの講演から、脳は「出力」を基準にしてそのパフォーマンスが変化するという教訓を得たという話は大きく頷けた。池谷さんは脳科学者で、実際に実験によってこの知見を得たのであるが、何百冊の本を読んで何も発信しない人よりも、たった数冊を使い込んで積極的に発信する人の方が、脳のパフォーマンスとしては良いのである。インプットとアウトプットの関係である。アウトプットを基準にして脳のパフォーマンスは向上する。私がこうしてブクログに感想をしたためているのは、アウトプットを残すことで、インプット過多にならないようにするためでもある。また、その後の章で、論文を書くときには「序文」を二度書くということを話している。これは、最初に序文を書いた時と、最後に書き直した時のその変化が、その論文を書いたことによる自分自身の変化を定点的に教示してくれるマイルストーンであるからである。むしろ、最初に書いた序文と、最後に書いた序文が違わない時、その研究には意味がなかったとさえいえる。これは阿部謹也先生が上原専禄先生に言われた「学ぶとは自分が変わること」ということに通じている。自分が変化し、同じ事象について別の視座から捉えられることができること、それが即ち学ぶことなのである。レビューを書いて、その数年後にもう一度その本を読んだ時に、その数年分の変化を自分が楽しめるというところもブクログの面白さである。
なお、内田老師は圧倒的にブログを更新することによって、アウトプットを行う。そのアウトプットの膨大さが、逆説的に内田老師の知の果てしなさを担保しているのだろう。

字数を減らして簡便に、快刀乱麻を断つの如く説明することと、わかりやすさは異なる。
つまり、わかりやすく説明しようとすればするほど、それなりに論理や比喩を使い、時には「ここは難しいですよ」というようなメタメッセージを送りつつ螺旋状に文章を深堀する必要がある。内田老師の話は、複雑な話を説明する時、その複雑さを保存しつつ、我々に近い複雑さに還元して説明する。人類学をサッカーに例えたり、それが解り易さというのであろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年4月25日
読了日 : 2020年4月23日
本棚登録日 : 2020年4月23日

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