ダイナミックフィギュア〈下〉 (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)

著者 :
  • 早川書房 (2011年2月25日発売)
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感想 : 22
5

 上巻ではキッカイを四国内に留め、ゆくゆくは殲滅するという目標を軸に、ダイナミックフィギュアの活動開始とその活躍があたかも中心的な主題のように語られてきた。つまり「巨大ロボットもの」。
 しかしこの巨大ロボットは一人で動かせるわけではなく、司令船パノプティコンのクルーはじめ多くの人が関わる。本書の人間ドラマはそこがひとつの焦点。とりわけ、下巻では、手痛い打撃を食らったこのチームが再生していく様はまるで梁山泊の躍動感がある。
 また、本書が「巨大ロボットもの」に留まらないのは、巨大ロボットを出現させるための設定と思われたものが、それ自身を語り始めるからである。物言わぬ背景的状況かと思われた飛来体「カラス」と「クラマ」も動きを見せ始める。

 渡来体「カラス」の建造物の放つ究極的忌避感という設定は、人間のあり方にも立ち入って、本作の重要なテーマとなっている。「カラス」の建造物になぜ忌避感を感ずるかという点については、あまりに高度に人工的なものだからという仮説が述べられる。そしてそのような忌避感というのは、例えば誰かを生理的に好きになれないといった日常的な忌避感と地続きなのだ。他方、究極的忌避感に鈍いダルタイプは人間関係においても相手の心理を慮れない鈍さを呈すると描かれる。そうした視点が、人間関係一般から、さらには集団としての人間、社会、政治といった視野に広がっていく。
 2人の主系パイロットはダルタイプだが、遠隔操作の副系オペレーターの栂遊星はナーバスで、何より人々の間の平和を愛する人物として描かれる。キッカイの処理部隊フタナワーフの佐々史也はそもそもダルタイプだったが、化外の地で20日間置き去りにして生き延びたあと、究極的忌避感をまったく感じなくなってしまう。それゆえ彼は重要な任務を担わされるようになる。

 巨大ロボットを国際政治の状況に置くのも、先例はあるが、ある国が巨大ロボットを持つと隣国の戦略的脅威とみなされるというのはリアリティがある。それゆえ、ダイナミックフィギュアの起動にはその都度、五加一、すなわち5カ国プラス1地域(アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、台湾)の承認を要する。ダイナミックフィギュアの頭部に操縦席が着脱されるという形態も、そこに弱点を作っておくという隣国の保険である。遠隔操縦のみの運用なら頭部は不要で、だから加藤直之の表紙イラストには首のないダイナミックフィギュアも描かれているのだ。
 しかし、そのようなダイナミックフィギュアを核に勝る兵器として保持することで、日本の覇権をめざす政治家集団セグエンテが政府の一角に勢力を持っている。ダイナミックフィギュアには核兵器をも無効にする渡来体の技術が使われているからである。セグエンテは何も世界征服を目論んでいるわけではなく、日本の覇権下で、力による世界平和を実現したいのだ。この飛来体を神とみなす国際的思想集団インバネスの日本組織はこのセグエンテの野望を挫こうとしているが、栂遊星のガールフレンド公文土筆はこの組織に加わり、「クラマ」との意志疎通に成功する。実は「クラマ」もキッカイのように概念を求めていたのだ。

 ダイナミックフィギュアは道具にすぎず、物語は飛来体の事情とそれに対峙する人間の行状が主題となる。話は極めてモラールな問題意識とともに進んでいく。しかし、最後決戦はお約束のように、ダイナミックフィギュアによって戦われ、巨大ロボットものの快感を満足させてくれるので安心されたい。ただし、最終決戦の敵が、誰なのか何なのか、なかなか話が読めない展開なのである。
 登場人物たちはみな魅力的だ。また固有名詞も味がある。キッカイ対策の国連機関ソリッドコクーン、キッカイと飛来体の研究施設ボルヴェルク(防波堤)、キッカイ要撃隊フタナワーフ(四国の古名・二名島+波止場)、究極的忌避感に見舞われる弧介時間、国際的管理の下、鎖でつながれているダイナミックフィギュアの出動は「出獄」、キッカイが封じ込められていることを確認する飛行船団はプリズンガード、エネルギーの直接変換を可能にする飛来体の技術は、アインシュタインの綴りを逆から読んで、ニーツーニー、などなど。
 しばしこの術語の世界に遊び、物語の終結によってそこから切り離されることには相当の苦痛を感じた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: (巨大)ロボット
感想投稿日 : 2016年4月3日
読了日 : -
本棚登録日 : 2016年2月9日

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