羊をめぐる冒険を経て、鼠を喪失し、2時間泣いた僕のその後の物語。
序盤のイルカホテルがイケイケのホテルになっている描写にたまんなくワクワクした。
前の羊の博物館とは大きな違い。資本主義の匂い。
「ここに行けば何かが変わるという予感」ってのは、ごく当たり前にあるもので、そういう場所に行かなければならないときがあるんだなと。
僕は鼠を失い世界との繋がりを失っていた中で、イルカホテルへ旅立ち、メガネのユミヨシさんや13歳のユキちゃんとの物語が始まる。
彼女たちの導きに加え、中学生の理科の実験が同じ班だった俳優友達とも関わりあうことに。
鼠のときとはまた違った、新たな友情を新しい形で築き上げようとする僕の姿が印象的だった。
殺人事件に伴うミステリー要素みたいなものが多分にあるわけだが、その謎解きはこの作品では一切描かれない。むしろ、奇妙な世界観の一部分として殺人が行われているだけである。そして愛するキキを殺害した五反田くんに対しての僕の気持ちがまた印象的。それをそれと受け止め、それ以上詮索しない。そこのゆとりがある意味春樹らしさを感じさせる。
ある意味主体的な僕の行動の支えになっているのは、羊男の踊り続けろというメッセージ。
この物語のタイトルでもあるが、
音楽の意味や踊る意味を考えることなく、ただただ踊り続けること。
踊り続けることで、世界が自ずから自分を巻き込んでくるような。
これは我々が日頃どうしても忘れかけてしまう大事な要素ではないだろうか。
作中でも揶揄される高度資本主義社会は工場で人と機械をひたすら作動させ、多くの無駄なモノを大量に作りながら発展している。その無駄なモノについて考えずに、作り続けることで社会は発展しているのだ。
人間も同じで、行動一つ一つに意味を見出そう、効率的にやろうと頭で考えてしまうが、
実はその世界に流れている音楽に合わせて、リズムに乗り切り踊り続けることが一番大切なのではないか。主体性に欠けていたとしても、流れてきたものに身を任せることは決して悪いことではないのではないか。そうして俳優として大成した幼馴染みと巡り合い、13歳の少女とハワイへ行き不思議な日々を送り、最終的に受付嬢とハッピーエンドを迎える。そこには完璧な文章、完璧な言葉は存在しないし、この四部作を締めくくらセリフは「ユミヨシさん、朝だ。」というなんの変哲もないものだが、それがまた抜群にいいんではないか。村上春樹のハッピーエンドには違和感を覚えるが、踊り続けた僕のたどり着いた物語としてよかったんじゃないかと思う。
- 感想投稿日 : 2020年6月8日
- 読了日 : 2020年6月8日
- 本棚登録日 : 2020年6月8日
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