世の人は四国猿【しこくざる】とぞ笑ふなる四国の猿の子猿ぞわれは
正岡子規
正岡子規没後120年。近代文学史に名を刻む子規は、結核ののち脊椎カリエスを発症し、30代半ばで没した。冒頭の歌からは挑発的な青年像が浮かぶが、その挑発力こそ、時代に先んじた子規の持ち味なのだろう。
四国松山生まれ。上京後の旧制一高では野球に夢中になり、夏目漱石らと交友した。哲学を学ぶかたわら、俳句や小説を書き、日清戦争では新聞「日本」の記者として従軍。頭角を現すが、帰国後病臥の生活が始まった。
どの時期に着目しても、多彩な交友関係が興味深い。近刊の復本一郎による評伝は、膨大な参考文献から交友関係を丁寧に拾い上げ、明治文学人名事典のおもむきもある。
たとえば、島崎藤村とは一度だけ会ったが、波長が合わなかったこと。夫婦げんかの絶えない夏目漱石の妻に、寺田寅彦を通してさりげなくアドバイスをしたことなど、それぞれのエピソードに人間味が感じられる。
病床の子規は、粘土で自分の像を作った。
・わが心世にしのこらばあら金のこの土くれのほとりにかあらむ
「あら金の」は「土」にかかる枕詞【まくらことば】。私の詩精神が世に残るとしたら、この粘土像のそばだろうか、と軽く歌っているが、死に対する挑発とも読めるだろうか。
巻末には、子規の看病に明け暮れた妹・律へのねぎらいの言葉が書かれている。そこで筆をおいた著者の優しさに、感じ入る。
(2022年5月1日掲載)
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- 感想投稿日 : 2022年5月1日
- 読了日 : 2022年5月1日
- 本棚登録日 : 2022年5月1日
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