日本史の論点-邪馬台国から象徴天皇制まで (中公新書)

制作 : 中公新書編集部 
  • 中央公論新社 (2018年8月17日発売)
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中公新書2500点を記念して出版された一冊。古代、中世から現代まで、5人の専門家が最新の学説を踏まえ論述されています。
いつの間にか鎌倉幕府は1192年ではなく、「戦国大名」は「地域勢力」と呼ばれるなど、知識のアップデートの大切さを再認識しました。
江戸時代に関する指摘は、特に示唆に富みます。

従来の「江戸時代=封建制=農民は搾取される存在」は、マルクス・唯物史観。戦後の農地解放を進めるうえで、農村=封建制というフィクションを作る必要があった。江戸をはじめとする都市研究が進んだ現在では、農民の次男三男は都市にでて町民になるし、町民で豊かなものは侍株を買って侍になるし、逆に侍が嫌で俳諧師や医師、絵師になるものがいるなど、「家」制度自体は堅固だけれど、その中でも個人はかなりの部分、地域・身分をこえて動ける、非常にフレキシブルな社会だったことが明らかになっている。

「鎖国=閉鎖的」というのも事実と異なる。従来から、長崎(オランダ・中国)、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(アイヌ)と4つの交易窓口をもっていた。日米修好通商条約以降、窓口を8つ(+横浜、神戸、新潟、函館)に増やした。ゼロ→100ではなく、4→8という連続性をもった政策変更だった点が見逃されている。

これまで、江戸と明治は断絶の側面が強調されてきた。幕府を倒した明治政府が自らの正当性、革新性を強調するため、必要以上に江戸時代をネガティブに捉え(そして宣伝し)たという側面に留意しなければならない。実際、議会の二院制については幕臣の西周も構想していたし、先進的な幕府官僚たちは列強に立ち向かうため近代軍制の整備を進めていた。明治は江戸の克服ではなく、江戸の完成形とみたほうが見通しが立ちやすい。

中国では王朝交替のたびに、前王朝の歴史が書かれます。その際、倒した側は自らの正当性を主張するため、旧王朝の初期は善く記述し、末期に進むにしたがって、これこれの悪い行いがあって民心が離れた(ので、倒されても当然だった)と書くのだそうです。彼の国の権力闘争は筆舌に尽くしがたいからなあと、のんびり構えていたのですが、知らず知らず、その手に乗ってしまっていたようです。実証的な歴史研究の大切さがわかる著作だと思います。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年12月12日
読了日 : 2018年12月12日
本棚登録日 : 2018年12月12日

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