○精神は、知性による判断の錬磨でありその持続であることに気づいていなかった。
○語彙の選択、構文のたしかさ、文章の品位と思考の強靭さ。それらで読者を魅了することが、ユルスナールにとっては、たましいの底からたえず湧き出る歓びであり、それがなくては生きた心地のしないほど強い欲求だったにちがいない。
○詩にしても、音楽にしても、ゆっくりと熟した時間のなかで、真正の出会い、といった瞬間はいつか訪れるのであって、それに到るまでは、どんな知識をそろえてみてもだめなのである。無駄というのでもないのだけれども、目も、あたまも、空まわり、うわすべりの状態にとどまったまま、そのつめたさのまま、つめたいことにどこかで悲しみながら、作品に接している。
○サンドロ・ペンナの詩
ぐっすりとねむったまま生きたい
人生のやさしい騒音にかこまれて。
ヴェネツィアの小さな
広場は古風で哀しげで、海の
香りを愉しんでいる。また、
ハトの飛翔を。だが、記憶に
残るのはー光のまま
恍惚をもたらしー自転車の
少年がさっと通りすぎ、友に
よびかける、唄に似た空気の
そよぎ。「きみ、ひとりなの?」
○あたらしい土地を訪れるために案内書を読んで準備する習慣を、私はまだ身につけていなかった。
○きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。
- 感想投稿日 : 2018年7月29日
- 読了日 : 2017年4月26日
- 本棚登録日 : 2015年12月3日
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