母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)

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  • NHK出版 (2008年5月28日発売)
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目次
序章 なぜ「母殺し」は難しいのか
第1章 母と娘は戦っている
第2章 母の呪縛の正体をさぐる
第3章 女性ゆえの困難について
第4章 身体の共有から意識の共有へ
終章 関係性の回復のために
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<なぜ「母殺し」は難しいのか>
 母と娘の関係は、家庭内に置いて特殊である。
 同性であるために、心理的に距離が近くなること、そして、母親の支配が、父親の様なわかりやすい形ではなく、相手の同情と共感を逆手に取った、分かりにくい形をとることにも関係ある。
 具体的には、「あなたのためを思って」との大義名分で、自分の幻想に基づいた一方的な奉仕を行い、それを拒むと逆切れしたり、自分が被害者となって、相手に罪悪感を植え付けるといったやりかたをとる(もちろん、悪気はない)。
 さらには身体的な同調を基礎に支配が行われるので、支配から逃れにくい。

<母子密着と発達過程>
 子どもが発達していく過程で、母親に「よいおっぱい(自分が求めた時に与えてくれる)」と「悪いおっぱい(前者の逆)」という分裂したものを投影する。一方で、自分が怒っているのに「相手が怒っている」と自身の態度を相手に転嫁するものが多い。
 成長するとそれらはそれなりに投影されていくが、母子密着した過程ではこのような子どもかえりが起こりやすい。
 問題のある過程ではおおむね母子密着が起こっている。
 母子密着は娘でも息子でも起こりやすいが現代においておこりやすい「近親相姦」は母と娘である。 

<近親相姦>
 エリアチェフが提唱した近親相姦は3種類あり、
1・プラトニックなもの
2・父娘、母息子という異性の近親者同士
3・母と娘(父と息子)が同一の恋人を持つ
 である。
 この中で、抑圧と禁止を免れ得るのは1のみであり、まさにこれが母と娘の間に起こっていることである。

<母性と、マゾヒステッィクコントロール>
 日本では長らく、「母は滅私奉公して子どもにつかえるものだ」という献身、受動性、そしてマゾヒズムに彩られた母性神話が語られてきたが、これは幻想である。だが、これが押し付ける役割が「母親」にプレッシャーと葛藤を与え、「子どもはコントロールすべきもの」というコントロール幻想を生む。
 引きこもりの子供を持つ母親は、連日殴られながらもその幻想を体現している。
 そこから離れるには母親も「自身の人生」をいきることではある。
 また父親など「第三者」の介入も重要であるが、往々にして男性は家庭内の問題からは逃げている。

 では、いったい母親は何を自身の価値観としているのか?
 母親は自身の価値観に沿って子どもを育てるが、それは往々にして世間の目を気にする「世間教」となりやすい。そこでは「条件付きの承認(○○をすれば愛してあげる、という行為)」が跋扈し、ダブルバインドが往々にして見られる。
 ダブルバインドとは、口では「結婚しなさい」といいながら、実際はまめまめしく世話を焼く、といった行為である。
 世間に阿った、自己犠牲的な奉仕は罪悪感を娘に受け付け、非常に強力な楔となりうる。これを「マゾヒステック・コントロール」とよぶ。
 息子も同様だが、男性は女性に比べ共感が鈍いので、若干軛が弱い傾向にある。

<ジェンダーと疾患>
 男性と女性のジェンダーは厳然としてあり、それらは違った様相で現れる。
 男性は社会的な同一性(能力を表し、有用性を表明する)を重視し、多くの女を所有する立派なペニスであれ、というプレッシャーを受け続ける。
 一方女性は、他者に不快感を与えないしぐさや美しい容貌を重視する。

<母親の期待と支配、女性の空虚さ>
P189
 女性性とはすなわち身体性のことであり、女性らしさは主として外見的な身体性への配慮です。それゆえ女の子へのしつけは、男の子の場合と異なり、他人に気に入られるような身体の獲得を目指してなされます。このため母親による娘のしつけは、ほとんど無意識的に娘の身体を支配することを通じてなされがちです。
身体的な同一化による支配において、母親は時に、娘に自分の人生の生き直しすら期待します。こうした支配は、高圧的な命令によってでなく、表向きは献身的なまでの善意にもとづいてなされるため、支配に反抗する娘たちに罪悪感をもたらします。
しかし、母親による支配が素直に受け入れれば、自分の欲望放棄して他者の欲望をひきつける存在という「女性らしさ」の分裂を引き受けなければなりません。それゆえ母親による支配は、それに抵抗しても従っても、女性に特有の「空虚さ」の感覚をもたらさずにはおかないのです

<ジェンダーとBL> 
 BL第一人者のよしながふみは以下のようにかかる。BLはジェンダーやフェミニスト運動と相性が良い。

P105
 彼女は「ボーイズラブ」は「もてない女の慰め」であるかもしれない、ともいいます。なぜならこのジャンルは「今の男女のあり方に無意識的でも居心地の悪さを感じている人が読むものである」ためで、ただその居心地の悪さには、男女差があると彼女は指摘します。

P106
男の人のです抑圧ポイントは一つなんですよ。「一人前になりなさい、女の人を養って家族を養っていけるちゃんとした立派な男の人になりなさい」っていう。だから男の人たちて皆で固まって共闘できるんです。女の人が一つになれないって言うのは、一人一人がつらい部分がバラバラで違うんでお互い共感できないところがあると思います。生物学的な差では絶対にない。これは差別されている側は皆一緒ですよね。アメリカにおいて、全部合わせれば白人より多いはずのマイノリティーが文化が違うから一緒になれないのと同じです。

 社会がジェンダーに基づいた圧迫を行うため、男性と女性では発症する疾患の差異がある。
 そのなかで、男性はひきこもりが多く、女性は拒食症が多い。
 男性のひきこもりは先に述べた社会的プレッシャーからの逃避である。一方の拒食症は何か。著者はそれを「女性性」からの逃避とみる。 
 拒食症患者の徹底的にダイエットを目指す体は、ふくよかさなどの「女性性」を拒否した形と解釈できる。
 男性は異性との関係を夢見る「恋愛教」を断ち切るのは難しいが、女性はそうでもない。「恋愛教」にはまる人数も多いがそこから決別することが男性よりは比較的容易で徹底したものになりやすい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年12月22日
読了日 : 2014年5月12日
本棚登録日 : 2018年12月22日

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