史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (SUN MAGAZINE MOOK)

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  • マガジン・マガジン (2012年3月14日発売)
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<span style="color:#0000ff;"><要約>
 東洋哲学は、階段を登るがごとく心理を目指す、西洋哲学と違い、「真理がある」と言い切った開祖をからはじまるピラミッド型の構造であり、それを弟子や後世の人たちがつたえたものである。

<第1章 インド哲学>
 古代インド人は、ヴェーダと呼ばれる神話を作り、そのなかでカースト制度を作って、バラモンという特権階級を作った。時間も金もある彼らはやがて、「哲学」を考え始め、ウパニシャッドとよばれる経典を作った。
 数々の論客が現れる中、最強の論客は「ヤージュニャヴァルキヤ」であり、彼は「梵我一如」を唱えた。「この世のすべてはアートマンである」という主張である。
 しかし、後世では彼の主張は誤解され、「自己は破壊されることなく、常に変わらないのが真理ならば、悟った人間はいかなる苦行にも耐えられるハズだ」と、悟りに至るための公卿という手段が目的化し、インドでは苦行が大流行であった。
 若き釈迦もそのひとりだった。
 しかし、彼はある日苦行とは無意味と気付き、悟りに至る。こうして彼は「仏陀(目覚めた人)」となる。
 彼の悟りは「四諦」と「八正道」であった。
 さらに彼は、概念化してしまった「アートマン」を破り、本来の「梵我一如」へ是正するため「無我」を唱える。

 釈迦の死後、「根本分裂」が起こり、仏教はあくまで戒律にストイックな「小乗仏教」とややフランクな「大乗仏教」へと別れる。
 やや民衆よりとなったかに見えた「大乗仏教」だが「龍樹」という天才が現れた。彼は釈迦の唱えた縁起(あらゆるものは、必ず何かの縁によって生滅をし続けており、永遠不変のものは存在しない)を、空の哲学にまで洗練した。
 その代表が「般若心経」である。
 それは無分別智と呼ばれる、言葉を解さない理解に到達し、自分と他者との区別がないことを理解させるためのお経である。
 
 しかし、その後インド仏教は滅亡していく。

<第2章 中国:百家争鳴>
 古代中国では、聖王と呼ばれた堯・舜・禹と呼ばれる王たちがいた。彼らは血縁はなく、能力制であった。しかし、禹の息子が後を継ぎ始め、「世襲制」が始まり、暗愚な皇帝が後を継いだことで、夏王朝・殷王朝と滅亡が続き、さらに続いた周王朝は貴族それぞれに料地を持たせて治めさせる「封建制」と「身分制」を導入し、そこに神秘的権威を持ち込むことで地盤の強化を図った。
 しかし、「周王に逆らわなければ、隣から料地ぶんどってもOK」な体制だったため、「春秋戦国時代」に突入した。
 その中では身分に関係なく、才覚のあるものが取り立てられる「百家争鳴」となった。

 孔子
 「仁」と「礼」を唱えた。
 「仁」とは家族同士でかわす思い遣りのようなもので、「礼」はそれを形に表したもの。国を治めるにはこれらが大事とした。
 また、あくまで現世に生きる人間を大事にし、神秘主義とは一線を画していた。
 しかし、格別取り立てられることもなく、不遇のうちに彼はなくなる。

 墨子
 「兼愛(いまでいう博愛)」を唱え、国を巡って戦争を止めさせることを説いて回った。彼らは言葉だけでなく、籠城戦のノウハウをもっていたりと、防御のスペシャリストだった。

 孟子
 「仁」を重んじ、性善説(人は生まれながらにして善人であるという説)で知られる。
 が、彼は単純なヒューマニストではなく、「生まれながら善なる人が争うのは為政者が無能なためだ!」と権力者たちを非難した。

 荀子
 性悪説(人は生まれながらにして悪人であるという説)で知られる。
 なので、人と人とのルールとしての「礼」が大切であるとした。
 現実的である彼の考え方は絶大な人気を誇り、彼の教えを継いだ思想家集団「法家」は他の集団(儒家、墨家、名家、兵家)を圧倒していった。

 その後、法家の中から、韓非子が現れた。
 彼は「仁」というあやふやなものでなく、「法」に伴うことを是とした。そして、法を破ったものには罰が伴うとした。
 彼は、国家を強くするためには「形名参同(言ったこととやったことが一致しているか、それをチェックすること)」が重要と説いた。
 彼の考えを取り入れた秦の政王は、国力を増強し、他の貴族はおろか周王朝も打倒した。そして彼は「始皇帝」と名乗り、中国全土を支配した。
 さらに彼は法家以外の学者を生き埋めにし、書を焼いた(焚書坑儒)。こうして、百家争鳴の時代は法家の一人勝ちで終わる。
 
<第2章 中国:タオの道>
 現世利益を重視する中国人に、釈迦や竜樹のインド哲学はなじまないかに見えたが、そんな中国にも、現世利益を第一としない「老子」の考えを継承する道家の人たちがいた。
 インド仏教は彼らに継承され、発展していく。

 老子の主張は
 天地よりも先に存在した混沌としたものが「道(タオ)」である。万物はその道(タオ)から生まれた。
 とする。
 また彼は仏教哲学をさらに推し進め、
「悟り(ゴール)に到達すれば、無為自然、上善水の如しとなる」と説いた。

 荘子
 百家争鳴の、孟子と同じ頃の人。
 老子の教え、東洋哲学の真髄をわかりやすく簡潔に残している。
 つまり、
「本来世界には境界などなく『物(僕たちにとっての存在)』もない。それが最高の境地であり道(タオ)である。言葉を持ち込むことで境界が生まれる。」
 それを「胡蝶の夢」という一編の寓話に凝縮させたことからも彼の天才ぶりがわかる。

 「老荘思想」から中国仏教や、禅が生み出されていく。

<第3章 日本へ>
 日本に最初に仏教をもたらしたのは聖徳太子である。彼は東洋哲学や仏教の真髄を正しく知っていた。
 その後、最澄、空海が貴族たちに大ヒットした。
 原因は、これは彼らの伝えた密教が加持祈祷を行う現世利益をかなえる方法論を持ち合わせていたからである。
 それでは仏教の堕落だ、とした人たちのなかに、改革派・保守派があらわれる。
 前者は、法然・親鸞、後者は栄西・道元である。

 親鸞
 釈迦の精緻な仏教体系を受け継いでも、目の前の民衆を救うことができないと悩んだ彼は、師匠である法然から「念仏」をひきつぐ。
 「念仏」はただの呪文でなく、唱えることで、雑念がおさまり精神を落ち着かせる、その実用性を重視した。
 さらに「悪人往生」「他力本願」を唱えた。


 「禅」は達磨大師を祖とする方法論である。

 栄西が開いた臨済宗では頭を通さずに真理に至るために、「公案」を使う。
 道元が開いた曹洞宗では「只管打座」をモットーとし、ひたすらすわり、湧いてくる雑念を無視するものだった。

 「禅」を表すものに、十牛図がある。
 以前は8番目、牛も人も居なくなりただ円だけを表すもので終わっていたが、郭庵という禅師が9.10を書き加えた。
 それは悟ったのちも、人の世に帰り、人と交わって普通に暮らすこと、それが真の悟りであることを表している。
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読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年12月22日
読了日 : 2013年2月23日
本棚登録日 : 2018年12月22日

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