【概略】
「母」「母親」「お母さん」という言葉から、どんなイメージを想像するだろうか?女性が母というフェーズに入った途端、目に見えないナニカに縛られてしまう。その正体は「道徳」。「母親とは、~であるべき」という強大な型枠である「道徳」を、明治から現代にかけて様々な角度で比較した一冊。
2020年03月31日 読了
【書評】
その時代その時代に母親から「見ちゃいけません!」「やっちゃいけません!」なんて言われたもの、または世間的に「子どもが触れたらよくないのでは?」なんて扱いを受けたもの、あると思う。現代だったらスマホ?昔だったらゲームボーイ?マンガ?小説?そしてこの「~してはいけません」という線引きでよく使われる言葉が「道徳」「道徳的」といったものなのだよね。
本書では、この道徳が時代の流れ・世相とともにどのように変化をしていったのか?という部分、そして、とりわけ子どもの成長に大きな存在となっている(この表現すら旧態依然の価値観なのかもだけど 笑)母親という存在を一つの軸として展開している。
小さな頃、「先生」という存在がどこか完全無欠な存在のように見えたのと同様、父親や母親の存在に対してもかなり特別な存在に見えた。大人全体がそうなのかな?ところが自分がその年代になってみて、「全然、完全じゃないやん」なんて思ったこと、沢山あると思う。でも、どこかの段階で色んな「しがらみ」という服を着ていくような。子どもがいる人は特にそうなのじゃないかなと想像してる。親は親で「~あるべき」を自ら望んでしまってるとこ、あると思うのだよねぇ。道徳って、甘美な響き、あるよ、そういう望みに対して。
本書内で(この部分は引用だったけど)国語教育の中に道徳の普及が多分に含まれていたというのは、すごく実感。矛盾した言い方を承知で言うけど、ある意味、道徳って、形のない・目に見えない正解のような気がする。正解が好きな日本人からすると、その正解から外れたものに対する拒絶反応、強く出ると思う。別に道徳心(?)があったって問題ないのだけど、針がふれすぎちゃってるのだよね。問題は、大人にせよ子どもにせよ思考停止して道徳という枠にはまるのではなく、思考する、ことなのだけども。
今回、もうちょっと(読者の読みたいという欲求という意味で)期待したのは、事柄の羅列ではなく、著者の思考がもうちょっと盛り込まれてたらなぁという点。垣間見えた部分だけでも面白そうだったので。
北原白秋が童心から急に愛国心に変化したり、新見南吉のごんぎつねが教科書用にカスタマイズ(しかもそれをしたのは別の方)された話であったり・・・そういった文学界の歴史などは知識として興味深かったね。
- 感想投稿日 : 2020年4月1日
- 読了日 : 2020年3月31日
- 本棚登録日 : 2020年4月1日
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