道徳教室: いい人じゃなきゃダメですか

著者 :
  • ポプラ社 (2022年3月16日発売)
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本棚登録 : 280
感想 : 33

【概略】
 「〇〇警察」の根っこになっているのは「道徳的に正しいかどうか?」といったジャッジ。その「道徳」とは一体どういったものなのだろうか?小・中学校で正式な教科となった「道徳」に対し、ノンフィクション作家が様々な角度からぶつかるルポタージュ。はたして人は、「いい人」でないといけないのか?

2024年02月07日 読了
【書評】
 「はい、泳げません」での軽妙なタッチにやられた自分、これはある意味「引き寄せの法則」なのだろうか。何度となく眺めている友達の本棚から「高橋秀実」という名前を見つける。意識しているものしか見つけられないのか、はたまたカラーバス効果なのか。タイトルは「道徳教室」。そうなの、この本なのだよね。
 道徳を「教科」として定めないといけないのか今の日本は、なんて思ったのが(道徳を教科とするというニュースを見た)第一印象、しかしながらもはや色々な国の文化が流入していて、しかも(法律に触れてなければ何をやってもいいでしょう?という)いびつな個人主義が横行している中で、いたしかたないのかなとも思ったり。※たとえば「撮影はご遠慮ください」の「ご遠慮ください」を「沢山撮影するのではなく、2~3枚ならいいよ」という解釈することであったりとか、水程度の水分補給が許されている場所でとんでもない臭いのする飲料を口にしたりとか・・・まぁ、素敵な拡大解釈が多いこと多いこと
 自分よりも年齢が上の著者は、この道徳に対し様々な観点から取材や体験を試みるのだけども、本の構成上、大体前半あたりまでが学校の教科「道徳」に関連したものに、そして後半は広がる「道徳」多角化する「道徳」といった「こんなこともある意味、道徳の中で語られるよね?」といったものになっている。後半も興味深いのだけど、ここでは前半部分を元に感想を述べていこうと思う。あっ、誤解のないように。本書もそうだけど、道徳について絶対的な正解を導き出している訳では、ないのよね。だから徹底した「自己啓発」感は、ない。本書内の先生との取材でもあるのだけど、「こういうものだ!」という確定をしないこと自体が、道徳の中に入ってるのかも。ダブル・トリプルといった複合的スタンダードを受け入れる度量も必要になってくるしね。
 自分が凄く興味深いなと思ったのが「間主観」という言葉。第一人称の自分の中に第三人称の自分がいる状態を指しているらしい。第一人称は当然、主観だよね。その主観を、完全なる第三者(他人)ではなく、自身の中に第三者を置き、自身を見るという。「嬉しい」「悲しい」と感じている自分は、主観を持つ第一人称で、「嬉しいと感じている自分」「悲しいと感じている自分」は、第三人称的に見ているというもの。この間主観に道徳性を感じるというもの。完全な他者から完全な客観性でもって見られることはもちろんある・ありえるとして、でもそこは行き過ぎると「〇〇警察」になる。そうではなく、まずは自身の中に他者を置いてみる、そこに道徳性を見出すという。
 今まで喜餅としてそれをやっていなかったか?というと、やってきていると思う。間主観という言葉は初見だけれども、「もう一人の自分」や、もっと究極だと「お天道さま」などはそんな存在だよね。「お天道さまに恥ずかしくない行動を」なんて、どれだけ(とりわけ祖母に)言われてきたことか。下手すると、神や仏という存在以上にこの「お天道さま」という存在を、自分の中に置いているかもしれない。あくまで、自分の場合ね。
 この間主観という感覚、本書ではアイススケートの羽生さんの発言を素材にあげているけれど、アスリートや経営者の方達などは効果的に活用(という言葉が適切かはわからないけれど)しているように思える。自分の周囲にいる社長さんも、自身を漫画や大河ドラマの主人公のように置いて客観的に「これから俺はどうなるのだろう?なんて考えて行動してる」なんて発言をしている方もいるし、キックボクシングからボクシングに転向した那須川天心選手なども自身を漫画の主人公になぞらえてる。この感覚を使っている人達の全員が倫理観の高い人達とは言えないかもしれない(ごめんなさい)が、すくなくとも道徳性を高めるコツは知っているのかもしれない。
 ここで本書でもさらに「なるほどだから知見を深めないといけないのか」につながるトピックが「カチカチなファンタジー」というところ。ダブル・トリプルスタンダードをオススメしてるところ。ダブル・トリプルスタンダードは、一般的な言葉の使われ方としてはネガティブだと思う。「あいつはダブスタだ」なんて感じ。言うことやることに矛盾があったりとかね。ここではそうではなくて、自身の中の「絶対」を柔軟に捉えておかないと精神がやられてしまうというところ。プライドが高すぎたり、被害者意識が強かったりすると、道徳性が高くても生きていくのに辛くなってしまう。「〇〇警察」になってしまう人も、いるかもしれない。こういったシングルスタンダードである人の強みは、プライドに基づく強い信念だったりするかもだけど、周囲との関係は難しいよね。ではシングルからダブル、トリプルスタンダードに増やしていくには、「取り入れる」ことにつながってくる。第一人称の主観の周囲に置く第三人称の自分を、より多く、多種にわたった形で置くというもの。もちろん「そんなに第三者の自分を置いたら、それこそ自分の中で自分に気をつかって疲れちゃう」なんてこともあるかもしれない。別に一事が万事、間主観でということでもないと思う。そして、心の中の他者とうまく付き合うことで、表に出てくるものはより洗練されたものになるのではと、期待をしてしまう。いわばココロの中での独り人類補完計画であり、ココロの中の独りシュビラシステムを構築するようなものかな。
 道徳を扱っている本書からは少し外れるけれど、そろそろ道徳を全能なものとして崇め奉ることはやめるタイミングなのかなとも思ったりする。学校のいじめなども、確かに理想はいじめてる子が何かの(それこそ道徳的な!)気づきを得て改心して、いじめられてた子と仲良くなる・・・なんてことも、あるかもしれない。いやー・・・いじめられた側に残る「おい、お前が俺にやったこと、絶対忘れないぞ!」は、そうは簡単には消えないよね。小・中学校で子ども達が学ぶことは、もう少しシンプルにして、社会に送り出してあげた方がよい気がするなぁ。みんな一緒に卒業という、そんな道徳観念は捨てて、ね。
 ちなみに・・・途中に挙げた「倫理観」という文字を自分でうって、「あ、倫理観と道徳観は似て非なるものかも」と思ってしまった。自分は「お天道さま」って思ってしまうぐらいだから道徳観は高めかもしれない・・・でも、倫理観は低いかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 教育
感想投稿日 : 2024年2月7日
読了日 : 2024年2月7日
本棚登録日 : 2024年2月7日

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