項羽と劉邦(上) (新潮文庫)

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  • 新潮社 (1984年9月27日発売)
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4

【感想】
最近映画にもなった超人気漫画「KINGDOM」。
この本は、「KINGDOM」で秦が中華統一を遂げた後の時代の物語である。
登場人物が多く、またシーンごとに色んな場所に移り変わりするので、兎にも角にも固有名詞が多すぎる!!
また、漢字の1つ1つも難しいため、中々読み方を覚えられない・・・笑

そんな感じで四苦八苦しながら読み進めていたが、固有名詞を除けば、非常に読み易く面白い物語だった。
自分にとって中国の歴史小説は本著「項羽と劉邦」が初チャレンジだが、中国の国民性や国の歴史の凄まじさは本当に背筋が凍る・・・
同じアジアでも、島国民族である日本人と大陸民族である中国人は似て非なるもの、いや、根本的に全く違う人間だと思った。

秦の凋落は始皇帝の死亡が大きな理由だったのだろうけど、国や時代は違えど、こういったケースは現代の日本社会にも多い気がする。
・トップのワンマン経営からの後継者問題。
・システムがしっかり構築されていたとはいえ、がんじがらめすぎる法整備。
・支配しているとはいえ、心のどこかで軽んじられていて、憎まれていた点。
⇒(本著では、他民族に秦民が漢民族の血が薄いと軽侮されていた点が該当する。)
こういった要素は、遅かれ早かれ組織が衰退してしまう重要な危険要因になり得るなと読んでいても思った。
この物語は項羽と劉邦という英雄が現れているけども、秦が凋落してしまうのは至極当たり前だったのだろう。

さて、上巻では主に始皇帝の末期から死後の中国史が書かれており、どのようにして反乱が勃発するに至ったかを明確に描かれている。
また、タイトルにもある項羽・劉邦の生い立ちから反乱に至るまでを書かれていたが、現時点では項羽に焦点が当てられて物語は進んでいる。
(劉邦に比べて)育ちが良いサラブレットのような項羽と、「雑草魂」さながらの劉邦。
2人が今後どのように決裂していくのかは非常に楽しみである。


【あらすじ】
紀元前3世紀末、秦の始皇帝は中国史上初の統一帝国を創出し戦国時代に終止符をうった。
しかし彼の死後、秦の統制力は弱まり、陳勝・呉広の一揆がおこると、天下は再び大乱の時代に入る。
これは、沛のごろつき上がりの劉邦が、楚の猛将・項羽と天下を争って、百敗しつつもついに楚を破り漢帝国を樹立するまでをとおし、天下を制する“人望"とは何かをきわめつくした物語である。


【引用】
p17
秦は早くから法律と刑罰と鞭による統制主義を採用し、法家の国とされた。
また真鍮や冶金が上手で、するどい兵器も他の六国(楚、斉、燕、韓、魏、趙)に比べてはるかに豊富だった。
秦がもつ統制主義と生産量と兵器の優越が、この国をして他の六国を凌がせ、秦王・政(セイ)にいたり、やがて六国を滅ぼして奇跡としか言いようのない大陸の統一を遂げさせた。

しかし、旧六国の遺民たちは秦を野蛮国と見、漢民族の血液が薄いと見て軽侮していた。
軽侮されてきた国の王が皇帝になったところで、劉邦や項羽ならずとも神聖視しなかった。


p30
・始皇帝の最期と粛正
紀元前210年、始皇帝が巡幸中に死亡すると粛正の嵐が始まる。
始皇帝の身辺の世話をしていた宦官(かんがん、去勢を施された官吏)・趙高と宰相・李斯(りし)は、まず皇帝から後継指名を受けていた長男の扶蘇(ふそ)を自殺に追い込む。
そして次男の胡亥(こがい)を二世皇帝に据え、傀儡政権を樹立した。


p43
悪事というのは積み重ねられると、どこか空疎で滑稽な色をおびてくる。
が、悪事は仕上げられるという極みがない。

法にあかるい趙高は、不安要素である皇族や重臣ひとりひとりについて罪状をつくりあげ、法に照らして処断していった。
またその家族や使用人も同様の目に合わせたが、その数がおびただしいために社会不安の元となった。

その不安は官営土木事業に集められている農民や兵士要員の連中も動揺させ、「逃げるも行くも死刑」という考えが満ちてゆき、「法の元である秦そのものを亡ぼす」という反乱の火種となった。


p62
項羽は二十歳前になると、身の丈八尺(184cm)を越える大男となった。
それに力は鼎を持ち上げるほどに強く、頭脳の回転が速く、一種匂うような愛嬌もあった。
この項羽の肉体的な雄大さと人柄とは、叔父とともに縁を結んでゆく土地土地で、若者たちの人気を得るようになった。


p76
始皇帝の多くの失敗の一つは、自分の称号「皇帝」について、伝統のない新語を作ってしまったことであろう。
「秦といえば西戎(せいじゅう)、西方の野蛮人のたぐい」と人々は思っている。
始皇帝の生存中はその強烈な統御力と、彼が率いる固有の秦軍の強さでもって天下は恐れ伏しなびいていた。

いまひとつ、始皇帝の失敗は、すべての人民を自分の私物であると思い込み、盛んに労役に駆り立てたことであろう。


p89
劉邦の生まれは、この沛県(はいけん)の治下の豊(とよ)という邑である。
劉家は、ごくありきたりな農家といっていい。
「劉」という姓を持つだけで、家族たちは名前らしいものをもっていない。当の劉邦でさえ、「邦(パン)」というのは「にいちゃん」という方言で、劉邦とは「劉兄貴」ということであった。

劉邦の面白さは、いっぱしの存在になってからも名を変えず、あにいのまま押し通したことである。


p141
劉邦の人間は、ひとに慕われやすくできている。
そのくせ有徳人でもなく、またこの時期に長者の風があるわけでもない。
ただ人間の風韻が大きい上に、弟分の者が劉邦を仰ぐときにいたたまれぬほどに何かしてやりたくなる可愛げというものが劉邦に備わっているのであろう。

蕭何(しょうか)のような男が、自分の保身のためにそう思ったはずがない。
それだけではなく、蕭何は劉邦を売り出そうとし、農家にて田畑を耕すべき劉邦を最下級とはいえ、ともかく吏にさせた。


p160
「戦国の頃のほうが良かった」と思わぬ者はいない。
かつて戦国の頃、六国が割拠していたときはかえってその国々の内側では治安が良く、このような労役もなく、乱れもなかった。
法治主義と官僚機構の整備という点で世界史上最も先進的な国家をつくった秦は、その点で先進的でありすぎたのか、人民が国家や法の組織から肉離れしてしまい、厳格な法のもとでかえって治安が悪くなった。


p225
胡亥は秦帝国に背く者や、そういう勢力が出現するなど想像したこともなく、ましてそれが戦争の形態をとっている事実そのものを知らない。
「汝、朕をまどわすか」と叫び、趙高に処させた。

趙高は、次々に似たような使者がくることを恐れ、戦場からいかなる報告がきても、「流賊は鎮定されつつある」と伝令に言わしめよ、と命じた。

以後、戦場から多くの使者がきたが、宮門を入ると、すべて戦勝と鎮定の報告になった。
胡亥はついに陳勝という名を知ることなく、また項羽・劉邦といった名も知らず、秦を滅ぼすに至る反乱者の名を知ることなく短い生涯を終えることとなった。


p237
陳勝の幸運は、たまたま穀倉地帯で挙兵したことであった。
「陳ならば食える。」その情報が四方の流民に飛び、陳勝の徳望によるものではなく、食ということについての魅力が流民を吸引したといっていい。
膨張しすぎた流民団のために、陳勝はさらにあらたな穀倉地帯を求めるべきであった。
そのことを怠け、自らを高くして王を称してしまったことが、陳勝の失敗である。

食が英雄を成立させ、不幸にも食わせる能力を失う時には、英雄はただの人になる。


p342
・項梁の最期
籠城し続けてた挙句、敵方の夜襲によって城内に入られ、敵味方の洪水の中でいつのまにか押し潰されるようにして死骸となった。
一軍の総帥でありながら、誰に討たれたかということさえわからなかった。
項羽と劉邦からみれば、彼はこの両人を前面に押し出すために懸命に生き、そして死んだとも言える。


p402
秦の章邯(しょうかん)は、おそるべき器才を持っていた。
のち、反乱軍が歴史の正統の位置を占めるために章邯の存在はほとんど注目されなくなったが、ともかくも彼の機動軍が、反乱の火の海の中を転々して敵を各個に撃破しつつ、しかも軍隊内部の統制がよく保たれていた。

彼の作戦の特徴は、盛んな機動性の発揮にある。
さらには攻撃すべき要所をよ選び、それを決定するとそこへ兵力の大集中を演じてみせる。


p442
秦軍総帥の章邯は、士心を得ていた。
「章邯将軍がいる限り、必ず勝つ」という信仰がもはやできていた。
章邯は特に演技をして彼らの心を獲ろうとしたのではなかった。

戦いを経るにつれ、元来太り気味だった章邯の体つきが、腱をより上げた鞭のようにしなやかになり、かつては丸かった容貌までが、?肉がそげおち、あごがとがって別人のように変わった。
前頭部は常に傾いていて、何かを絶えず考え込んでおり、すぐれた職人のように無駄口というものを一切たたかなかった。

章邯は職人肌の男だった。
自分の作品である戦争という勝負事に没頭しているだけで、後方の都に対し、政治感覚を働かせるという配慮は全くしなかった。


p456
趙高は軍事に暗くはあったが、しかしこの段階ともなれば、章邯の軍隊が敗れた以上、秦も終わりだということはわかっていた。
さらにはそれを破るほどに楚軍が強大になっているということは、次の帝国が楚人によっておこされるということも見通していた。

彼は今は生き残ることを考えている。ただ生きるだけでなく、次の楚帝国の貴族として残りたかった。

そのためには二世皇帝の胡亥を楚のために殺せばよかった。胡亥を誰よりも容易に殺せる位置に、趙高はいる。

(劉邦という男に密使を出さねば。)
(それまでは、胡亥の首はわしの手飼いにして生かしておく。)
と、肚の中で思いつつ、現実の胡亥に対しては、いずれ天下は平らかになりましょう、しかし前線の将軍(章邯)の失敗はすぐさまお叱りにならねば、と言った。


p483
秦兵というのは、歴史的にも非秦兵にとって強兵という印象が強く、捕虜になっても恐怖を感じざるを得ない。
その上、20余万人という人数はいかに丸腰でも楚軍よりも多く、捕虜として連れ歩くには荷が重すぎた。
「章邯以下3人だけは大切にしたい」


p483
・新安事件
深夜、黥布(げいふ)軍が秘密の運動をした。
足音をしのばせて捕虜たちの宿営地の三方をかこみ、一方だけあけ、次いで包囲を縮めた。
この深夜の「敵襲」で、20余万の秦兵たちがパニックにおちいった。

彼らは一方に向かって駆け出し、互いに積み重なりつつ逃げ、やがて闇の中の断崖のむこうの空を踏み、そこから人雪崩をつくって谷の底に流れ落ちた。
最初に底に落ちた者は即死したが、つぎの段階きらは落ちた者の上に落ち、続いて落下してくる人間によって体をくだかれた。

ついには無数の人体によって窒息し、密度が高くなるにつれて人の体が押しつぶされて板のようになった。
たちまち20余万人という人間が、地上から消えた。

大虐殺(ジェノサイド)は世界史にいくつか例がある。
一つの人種が他の人種もしくは民族に対して抹殺的な計画的集団虐殺をやることだが、同人種内部で、それも20余万人という規模でおこなわれたのは、世界史的にも類を見ない。

また、項羽がやったように、被殺者にパニックをおこさせ、かれら自身の意志と足で走らせて死者を製造するという狡猾な方法もまた、世界史上この事件以外に例がない。

翌朝から項羽軍は総力をあげて断崖のふちに立ち、数日かかって秦兵の死骸に土をかぶせ、史上最大の穴埋めを完成した。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2019年6月6日
読了日 : 2019年6月6日
本棚登録日 : 2019年6月6日

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