イノセント・デイズ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2017年3月1日発売)
3.89
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本棚登録 : 11062
感想 : 1050
5

【感想】
ブクログユーザーの皆さんの感想をよくお見掛けする為、読んでみようと思った作品。
WOWWOWで妻夫木聡・竹内結子が出演しているドラマもあるようですが、この物語はドラマよりも書籍の方が映える作品だと思う。

読後の感想として、第一に思ったことが「理不尽さ」だった。
理不尽すぎる。。。こうやって冤罪で処分される人間がどれほどいるんだろう。
ただ、他の冤罪事件と少々毛色が異なるのは、冤罪の被害者である田中幸乃本人が、誰よりもその罪を回避しようとしなかった事。
その理由でもある彼女の人生全体に、この上ないくらいの孤独さが作中に溢れ出ていた。

色んな犯罪者が世間にいる中で、これほどまでに恵まれなかった人間が果たしているのだろうか?
いや、彼女自身、周りに恵まれなかったわけでは決してない。
ただ、ボタンの1つ1つの掛け違いというか、募り募った小さな不幸の積み重ね故に、このような悲劇が生まれてしまったのだろう。

個人的には、幸乃の姉や中学時代の友人、そして元カレの友人など関係者たちが口を揃えて「これ以上関わりたくない」「背負いたくない」という気持ちが芽生えていることに、悪い具合で心にとても響いた・・・
幸乃に対しての理解があり、不憫であると思った上で、やはり皆それぞれの人生があるからもう関わりたくない、終わりにしたいという気持ちが物凄くリアルだった・・・

一人の女性の歩んできた人生が第三者目線ではあるがしっかりと描かれたこの物語。
読んでいてとても悲痛なモノではあったが、面白かったです。


【あらすじ】
正義は一つじゃないかもしれないけど、真実は一つしかないはずです

田中幸乃、30歳。
元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪により、彼女は死刑を宣告された。
凶行の背景に何があったのか。
産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がるマスコミ報道の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。
幼なじみの弁護士は再審を求めて奔走するが、彼女は……
筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。


【引用】
p24
「いい加減自分と決別したい。今日をもってノートともお別れだ。こんな価値のない女を好きになってくれてありがとう。さようなら、敬介さん」
幸乃の逮捕前から、放火殺人事件の概要は派手に新聞紙面を賑わしていた。逮捕後は一転、幸乃の生い立ちや容姿についての報道合戦が始まった。

私生児として出生した過去や、その母が17歳のホステスであったこと。
養父から受けていた虐待に、中学時代に足を踏み入れた不良グループ、強盗致傷事件を起こして児童自立支援施設に入所していたという事実。
そして出所後に更生し、真っ当な道を歩み始めたかに見えたものの、最愛の人との別れを機に再びモンスターと化していった経緯・・・


p41~
第1章「覚悟のない17歳の母のもと・・・」
「ほら、お母さんにそっくりだよ」
丹下は感じたままを口にしたが、ヒカルは真顔で否定する。
「ダメですよ、絶対にダメ。こんな目つきの悪い私に似たらかわいそう」
そう過剰に反応した次の瞬間、ヒカルは瞳を潤ませた。赤ちゃんをおそるおそる胸に抱き、次第に声が大きくなる。赤ちゃんも釣られるように泣きじゃくった。
「ユキノ。生まれてきてくれて本当にありがとう」


p106
第2章「養父からの激しい暴力にさらされて・・・」
倉田陽子が妹の存在を忘れたことは一日もない。でも毎日がめまぐるしく過ぎていき、幼少の頃の思い出が少しずつ霞に捕らわれていくにつれて、どこかに存在するはずの幸乃という人間から現実味は消えていった。
だから最初にニュースであの事件を知った時も、不思議なほど動揺はしなかった。冷たい言い方かもしれないが、他に数多ある絵空事のよな事件にしっかりと紛れ込んでいた。

だがその中に二つ、陽子の心をざらつかせる報道があった。
それはあの優しかった母を無責任なホステスと、三年前に他界した父を酒乱の虐待養父と一方的に断じたものだ。


p109~
第3章「中学時代には強盗致傷事件を・・・」


p178
「あなた、少年法って知ってる?」
笑いをかみ殺すのに必死だった。この顔だけは絶対に見られてはならないと、理子は再びうつむいて、さらに早口でまくしたてる。
「幸乃って三月生まれだよね?まだ13歳ってことだよね?だから大丈夫なんだ。絶対に捕まらないから」
気づいた時には理子は土下座し、額を床にこすりつけていた。
「うん、そうだよね。理子ちゃんには悲しむ人がいるんだもんね。それに理子ちゃんにはこれまでずっと助けてもらってたから。私を必要としてくれたから」
「いいよ、理子ちゃん。早く逃げて」

(中略)

何をしていても、何を実現しようとも、彼女の影に怯えていた。常に許しを乞い続け、もちろんその声はどこにも届かなくて、理子の気を滅入らせた。


p228
第4章「罪なき過去の交際相手を・・・」
「もう別れた方がいいよ。敬介に翻弄されるのはやめにしなよ、君の身体がもたないよ」
聡は懇願するように言っていた。しばらく不思議なものを見つめるようにしていた幸乃の瞳に、次第に怒りの色が浮かんでいく。まるで敵対するかのような強い表情に、聡はたじろぎさそうになる。

幸乃は諦めたように息を漏らすと、「ずっと一人だった私に彼は手を差し伸べてくれたんです。彼に甘えているのは私の方です」と、先ほどの言葉に付け足した。
「彼だけが私とつながろうとしてくれました。だって、これまでもいっぱい人に縋って、捨てられて、信じて、裏切られてを繰り返してきましたから。子どもの頃も、中学生のときも、施設時代も、出てからも。もう絶対に誰も心に立ち入らせまいとしてたのに。敬介さんがこじ開けてくれたんです」


p252~
第5章「その計画性と深い殺意を考えれば」


p254
母を失い、父から「必要なのはお前じゃない」という言葉をかけられたとき、絶対に安全だと信じていた足場があっけなく崩れ落ちた。その直後、祖母を名乗る女が目の前に現れたが、はじめから幸せの香りはしなかった。母が懸命に自分に近づけまいとしていてくれたことも知っていた。

美智子との生活は生やさしいものではなかった。一番こたえたのは幸乃を女として対等な存在とみなし、冷ややかな視線を向けられていたことだ。
そのくせ、美智子が入れあげていた韓国人の男に、幸乃が陵辱されている場面は見て見ぬフリをし続けた。汚らわしいものを見るような目で「あんたもヒカルと一緒か」と吐き捨てられ、避妊具の箱を投げつけられた。


p277~
第6章「反省の様子はほとんど見られず」


p292
父はさらに翔の目を見つめていたが、少しすると諦めたように息を漏らした。
「俺の尊敬しているある先生は、弁護士が自分の命を懸けて挑める案件なんて、生涯に一件あるかないかだって言ってたよ。人生に起きるすべての出来事がその日のための鍛錬だって。行く以上は成長して帰ってこい。お母さんを泣かせない範囲でな。いろんなものを吸収してこい」
父はほぼ一息で言い切って、なぜか誇らしそうに目を細めた。


p294
「この件は本当にお前が首を突っ込むべきことなのか?小さい頃の友人というだけで、名乗り出る理由になるのか?」
おそらくはそれが父の本題だ。ヴァナラシで事件の続報を知って以降、翔自身がずっと考えていたことでもある。
幼い頃の記憶を辿って辿って、ぶち当たった場面があった。それは当時の友人たち、幸乃を含む「丘の探検隊」のメンバーを前に、自分がこんなことを言ったときだ。
「誰かが悲しい思いをしたら、みんなで助けてやること。これ、丘の探検隊の約束な」
父にそれを説明しようとは思わなかった。
「これが俺にとって生涯で唯一の案件かもしれないからさ。たまたまそれが早く巡ってきただけかもしれないから、そのつもりで挑むよ」


p333
「田中幸乃の犯した罪を許すことは絶対にないよ。でもね、火を放った瞬間の彼女はたしかにモンスターだったかもしれないけど、生まれながらにしてそうだったわけではないことを僕は間近で見て知っている。じゃあモンスターにしたのは誰だったのかって、検証してみる必要があったんだ。彼女を見てきた時期を綴ることは、僕にとってはある意味では禊ぎだった」


p334
「ごめん、丹下くん。全然違うわ。本音を言うとね、僕はもうこれ以上何かを背負うことが恐いんだ」

「もっと言うとね、僕は早く彼女の刑が執行されないかとも思ってるよ。それがいかにひどい考えかってわかっているけど、どうしてもその思いが拭えない。彼女が今もどこかで生きていることが恐いんだ。毎晩のように夢に出てくる彼女から逃れたい」


p345~
第7章「証拠の信頼性は極めて高く」

p391
「あのさ、佐々木くんって幸乃ちゃんにどんなイメージを持ってる?」
八田は照れくさそうに鼻をかいた。
「イメージですか?さぁ・・・ち、小さい頃は、明るくて、屈託がないっていう感じでしたけど」
「へぇ、すごい。世間のイメージとは見事に逆だね。僕には無垢っていう印象が強いけど」
(中略)
「ちなみに純粋とか無垢なとかって、英語でどういうか知ってる?」
「イノセントっていうんだ」
八田はさらに顔をほころばせる。
「でね、そのイノセントには、無実のっていう意味もあるんだってら、不思議だよね。どうして純粋と無実が同じ単語で表されるんだろうね」


p416
「あの事件の本当の犯人はあなたのご友人ではありません。浩明をはじめとする、あのグループの者たちです。田中幸乃さんではありません。」
全身の毛がざわりと震えた。老婆は慎一から目を離さない。


p419
「なぜ罪をかぶってくれるのかわかりませんが、身代わりになってくれる人がいたんです。それに縋るのっておかしいですか?田中さんに死刑判決が出たとき、申し訳ないのですがホッとしました。もうこれで怖がる必要はなくなったのだと、少なくとも私は安堵しておりました。だけど、浩明は違った。あの子はさらに追い詰められていきました。」

「それが判決の出た日の日記です」
老婆の言葉を聞き流しながら、慎一はページをめくる。変わるのは日付だけで、内容はほとんど同じだった。綴られているのは後悔の念ばかりだ。命を奪った家族への、一人残してしまった井上敬介への、アパートを半焼させられた草部猛への、必死に守ろうとしてくれた祖母への、そしてまた新たに自分が命を奪おうとしている幸乃への謝罪の言葉が、綿々と綴られている。
老婆は否定するが、それはやはり遺書と読めるものだった。

「せめてあの子が神様のもとへ行けますように。そう祈りながらも、真相を明かすことはできませんでした。ただ読み返してみたら、自分が一体何を守ろうとしていたのか、今更ながらわからなくなりました」

「一緒に来て頂けますか?」
慎一は、噛みしめるように語りかけた。そう、自分たちは間に合ったのだ。次の春には一緒に桜を見ることができる。きっと何かを取り戻せる。
老婆が毅然とうなずくのを確認し、慎一は拳を握りしめた。もう二度と大切なものを取りこぼすことのないように。
「たくさんの人の人生がこれから変わるんだと思います。多くの人にとってそれは望まないことかもしれません。あなたにとっても、ひょっとしたら幸乃ちゃんにとっても。それでも、僕はあなたを警察に連れて行きます。もう決着をつけなきゃいけません」


p423
エピローグ「死刑に処する」

p440
看守の瞳は、背後に隠していた手紙を幸乃に差し出した。

《僕だけは信じているから。僕には君が必要なんだ。必ず君をそこから出します。だから、そのときはどうか僕を許してください》

力なく見開かれていた瞳に、怒りがふっと宿った気がした。幸乃が慌ててそれをひったくった瞬間、長く燻っていた私の疑問は確信に変わった。

この人は罪なんて犯していない。
ただ死ぬことを強く望んでいた女のもとに、そのチャンスが舞い降りてきただけだ。

生きることに絶望し、でも薬で死ぬことに失敗した女が、直後にまったく違う形で命を絶つ方法を授かった。他人に迷惑をかけることを極度に恐れ、その日が来るのをひたすら耐えて待ち続けている。
そう考えれば、すべてのことが腑に落ちた。すべての疑問に説明がつけられる。


p442
「そのピンクの手紙、どこまで持っていくつもり?何を隠したまま逝こうとしているの?あなたが死ねばそれでいいの?私はずっと不満だった。あなたに言いたかったことがある」
幸乃は両手で耳を塞ぎ、聞きたくないというふうに首を振る。そのまましゃがみこんだ幸乃に寄り添うフリをし、私も冷たい床に膝をつく。
「傲慢よ。あなたを必要としている人は確かにいるのに、それでも死に抗おうとしないのは傲慢だ」
倒れて、倒れて、倒れて、倒れて・・・
私は心の中で祈り続ける。それは、「生きて」と懇願することに等しかった。


p445
「もう恐いんですよ、佐渡山さん」
その声が全身に染み渡っていく。
「もし本当に私を必要としてくれる人がいるんだとしたら、もうその人に見捨てられるのが恐いんです」
「それは何年もここで堪え忍ぶことより、死ぬことよりずっと恐いことなんです」

ロープが細い首に巻かれる。想像の中の幸乃は、初めて笑顔を見せた。
やっとここに辿り着けたと、ついにこのときを迎えたのだと、透き通った笑みを浮かべている。

少しずつ小さくなっていくロープの音は、そのまま田中幸乃の命が消えていくことを象徴していた。そして再び部屋が完全な静けさを取り戻した時、私は一人の女が呆気なくこの世界から消え去ったことを突きつけられた。

傍目には何も変わらない。冷たい空気も、立ち込める線香の匂いもそのたまだ。でも、彼女はもういない。
誰かに迷惑をかけることを何よりも恐れていた女は、決して最後に取り乱すことなく、その誰かたちによって裁かれた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2019年8月6日
読了日 : 2019年8月6日
本棚登録日 : 2019年8月6日

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