人生で2度目の村上春樹体験。他にも有名な作品もたくさんあり、読みたい本もたくさんあるのだがちょうどいい文量、そしてやけに目を引くやたら長ったらしいタイトルに興味を惹かれて読まずにはいられなかった。タイトルにも用いられているフランツ・リスト「巡礼の年第1年スイス ラマルデュペイ」を聴きながら読み進めた。心地いい言葉が流れ、穏やかな風景(主にフィンランドの)を想起しながら、同時に多崎つくるの心の動きに振り回されるような体験だった。
充実感を伴って心地よく読み終えたが、果たして自分がこの作品の何割を理解できているのかわからなかった。つまり表層の薄皮の部分しか味わえなかったという感覚、物語の中に大事なものを置き忘れてきたようなモヤモヤも同時に感じた。そう思うと、最近は物語の伏線を作者がきちんと回収して、読者に正解を提示してあげる優しい文章ばかりを読んできたなと感じた(どちらが良いかは別として)。どんなことにも意味を見出そうと思えば僕たちの周りは謹言に溢れているし、ただ受容すればそれはそれで穏やかな心で生きられるだろうと思う。ただ忘れないでおきたいのは、作品中で度々登場する「記憶に蓋をすることはできる。でも歴史を隠すことはできない」という言葉だ。自分の意識外でも世界は続いているのだ。
自分にとっても気にしていないようで囚われ続けている過去があるかもしてないと思い返すようになった。つくるのような明確な過去の一点などはないが、なんとなく今の自分を過去の環境のせいにしている感覚がある。そういった面で見ると、参照する過去が明確であるつくるは幸せであろう。なんとなく過ごしてきただけなのに友達もいない、恋人もいない、内定先も決まっていない僕はどうすればいいのだ!いっそのことフィンランドにでも行きたい!僕だって陶芸の才能があるかもしれない!何か才能があるはずだ!
とりあえず僕にとって二つ目の村上春樹作品は穏やかながら、読むたびに新たな勝手な印象を抱きそうな予感を感じさせられたものであった。彼の描く死生観がとても美しいと感じるので他の作品も読みたいと思った。
- 感想投稿日 : 2021年4月30日
- 読了日 : 2021年4月28日
- 本棚登録日 : 2021年4月28日
みんなの感想をみる