性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。

著者 :
  • 梨の木舎 (2023年5月20日発売)
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感想 : 10

「暴力の被害者が、奇跡のような努力を積み重ねなければ生きていけない社会というのは、そもそも社会としての機能を備えているとは言い難いからだ。」p221

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著者の池田さんは大学生時代を始めとした性暴力や恋人からのDVによって、心身の大きな傷つきを受けただけでなく、仕事や夢、自分の言葉といったものも絶たれた。
そして、池田さんの幼馴染は中学時代に同性の先輩らからの性暴力に遭い自ら命を絶ったが、周りは「なかった」ことにした。


「百年前の認識」や心ない言葉、PTSDにぐちゃぐちゃにされ、守られるべき被害者が圧力を受ける社会のおかしさに気づき……性暴力被害者として生きていく(生きていかねばならない)こと、それを言葉として吐き出すことの痛みや苦悩が伝わってくる。

池田さんは大学生時代の性暴力について、「親には知られたくない」と告訴状を出せず、社会人になって仕事上で受けた性暴力には訴えるも、検察官の“臆病な判断”に力尽きてしまった。
2017年に刑法が110年ぶりに改定された現在でも、被害者が被害を訴えるには「同意」「暴行・脅迫」「アルコール・薬物」の有無など多数のハードルを乗り越えなければいけない、と池田さんは本書の終盤で語る。
仮に被害者がハードルを全て乗り越えられても、全てが守られること、PTSDなどから回復し以前を取り戻すことが難しいのは想像に難くない。


被害者の属性(性別・年齢・職業・地位など)や暴力の程度に関係なく、暴力は暴力であるし、一方的な暴力に対して無言で“Yes”と言う人はいないだろう。「嫌よ嫌よ」は「嫌」だ。

“ささいな暴力・脅迫にたやすく屈する貞操は保護されるに値しない”という「百年前の認識」「bad law(とってもひどい刑法)」を変えるために、全ての人が性暴力に対する誤った知識や自分の認識を改め、関心を向け、「このような社会がおかしい」と訴え続ける必要がある。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年8月8日
読了日 : 2023年8月7日
本棚登録日 : 2023年8月5日

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