性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。

著者 :
  • 梨の木舎
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784816623059

作品紹介・あらすじ

性暴力被害者自身による9000日の記録。
幼馴染の死の真相は性暴力によるものだった。
立ちすくむ16歳のわたしはまだ、自分自身も性暴力に遭うことになるとは、思いもしなかった。

目次
1「なぜこんなに苦しいのだろう」—―未成年への性暴力
2「体が動かない。これは夢かな」—―知らない人からの性暴力
3「刑法を改正したい」—―暴行・脅迫要件の衝撃
4「ここには被害者がいない」—―スーパーフリー裁判を傍聴する
5「無理をする癖がついてしまっている」—―DVのなかでの性暴力
6「被疑者は取引をしたと言っています」—―仕事中の性暴力
7「たぶん普段なら逃げるんだろうな」—―トラウマとの闘い
8「ますはあなたが元気にならなければ」—―障がい者手帳を取得する
9「一般人の感覚で説明できない罪は罪にならない」—―法律の言葉への違和感
10「You have very bad law」—―ロビイングと分断の痛み
11「性被害ってこんなにたくさんあるのか」—―言葉で社会を変えていく
12「強くなれなくても」—―法制審議会への手紙
13「それを奇跡と呼ぶ前に」新しいスタートライン

感想・レビュー・書評

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  • 職場の性暴力被害の実態を分かっているのか…私の体験から法制審に問う 元ライター・池田鮎美さん:東京新聞 TOKYO Web(2021年6月10日)
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/109741

    【書評】 『性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。』 池田鮎美 - キリスト新聞社ホームページ(2023.05.27)
    http://www.kirishin.com/book/60512/

    ◆奪われた言葉を取り戻す[評]林美子(ジャーナリスト)
    <書評>『性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。』池田鮎美 著:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/268044?rct=shohyo

    池田 鮎美|note
    https://note.com/i_am_ayumi_ikeda/

    性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。 | nashinokisha
    https://nashinokisha.theshop.jp/items/73951965

  • 性暴力被害者は生き延びているだけで奇跡だと思う。そしてその過酷さを強いているのが、被害者を軽んじ加害者に甘く有利な社会構造である。刑法含め「治療されるべきは被害者ではなく社会」という意味を読んでいて強く感じた。
    日本は平和な国だと言うけれど、性暴力が存在する限り平和なんてどこにも存在し得ないと思う。そして性暴力やジェンダーの問題について日本は明らかに後進国。
    読んでいてとてもしんどい本だった。けれど著者の生きている人生そのものであり、そして日本の現実でもある。この本を読めて良かった。

  • 性について、暴力について、日本の刑法について考えさせられる一冊。
    とにかく熱い本です。
    読み始めたら著者の熱い想いに釣られて最後までいっきに読み進んでしまった。

    書いておきたいことがまだまだ沢山あるので追記予定です。

  • 極論言えば教科書に載せたい!
    色々知るべき、考えるべきイシューがたくさんこの
    一冊に詰まっている!めちゃくちゃ売れて欲しい!

    これまでの社会とされるものが誤った方向に進めて
    きた様々な問題をなるべく早く正していくべき

    フェミニズムに興味の無い人にこそ読んで欲しい
    これは一体誰の話なのか一度深呼吸して考えるべき
    案外近くにいるかもよ、それを知った時にあなたは
    冷笑したり自己責任だとスルーできますか?

  • 病んでいるのは、私ではなくて社会だ、という信念を貫きたかった。

    ギャップを埋める努力をすべきなのは被害者ではない。

    治療されるべきは私たち(被害者)ではなく社会です。

    性暴力は個人的なトラブルではない。私たち性暴力、被害者は、社会の一部であり、自分の生き方を決める力を持っています

    もしも「セクハラくらい」「痴漢くらい」と言う心ない言葉を口にする人がいたら、加害行為を笑い飛ばす人がいたら、見て見ぬふりをする人がいたら、その人は加害者の見方をする反社会的な人だ。

    裁判は法律家のためではなく、国民のためにあるものなのに、、、

    告発したらもっと傷つく仕組みがある。この仕組み自体が性暴力なのだと思う。

    数々の、ほんとうの言葉。真実を真実として曲げないで直視する言葉。渾身の、などとはいえないものが1冊の本に詰まっている。自分はアリーナのスタンドから声援はしてるけどまだ出て来ない恥ずかしいダメな人の一人だと思った。

    読みながら、映画 プロミシングヤングウーマンと、雪道を思い出した。そして最後の一行まで読んだとき、命を削るように正義とはなにか正義を手にするための闘いをすると言う意味で、樋田毅さんの「彼は早稲田で死んだ」を思い出した。


  • 池田鮎美さんのような方々のお陰で法律が変わったり少しでも生きやすくなっているのだと実感した。

    『治療されるべきは被害者ではなく社会。』

  • 君の言葉で語れというのはとてつもない優しい言葉だ。それは自分自身に刻まれた何かを見ろという意味であり、刻まれた何かから生まれる葛藤や言葉を大事にしろということなのだ。

    深く考えさせられることが多々あった中で、言葉を扱う仕事をする私に深く刺さったフレーズでした。

  • 368

  • 「暴力の被害者が、奇跡のような努力を積み重ねなければ生きていけない社会というのは、そもそも社会としての機能を備えているとは言い難いからだ。」p221

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    著者の池田さんは大学生時代を始めとした性暴力や恋人からのDVによって、心身の大きな傷つきを受けただけでなく、仕事や夢、自分の言葉といったものも絶たれた。
    そして、池田さんの幼馴染は中学時代に同性の先輩らからの性暴力に遭い自ら命を絶ったが、周りは「なかった」ことにした。


    「百年前の認識」や心ない言葉、PTSDにぐちゃぐちゃにされ、守られるべき被害者が圧力を受ける社会のおかしさに気づき……性暴力被害者として生きていく(生きていかねばならない)こと、それを言葉として吐き出すことの痛みや苦悩が伝わってくる。

    池田さんは大学生時代の性暴力について、「親には知られたくない」と告訴状を出せず、社会人になって仕事上で受けた性暴力には訴えるも、検察官の“臆病な判断”に力尽きてしまった。
    2017年に刑法が110年ぶりに改定された現在でも、被害者が被害を訴えるには「同意」「暴行・脅迫」「アルコール・薬物」の有無など多数のハードルを乗り越えなければいけない、と池田さんは本書の終盤で語る。
    仮に被害者がハードルを全て乗り越えられても、全てが守られること、PTSDなどから回復し以前を取り戻すことが難しいのは想像に難くない。


    被害者の属性(性別・年齢・職業・地位など)や暴力の程度に関係なく、暴力は暴力であるし、一方的な暴力に対して無言で“Yes”と言う人はいないだろう。「嫌よ嫌よ」は「嫌」だ。

    “ささいな暴力・脅迫にたやすく屈する貞操は保護されるに値しない”という「百年前の認識」「bad law(とってもひどい刑法)」を変えるために、全ての人が性暴力に対する誤った知識や自分の認識を改め、関心を向け、「このような社会がおかしい」と訴え続ける必要がある。

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著者プロフィール

池田 鮎美(いけだ あゆみ)
1981年生。早稲田大学卒業後、雑誌・書籍のライターとして活動していたが、取材中に性暴力被害に遭い、文字を書けなくなる。書くことを取り戻してからは、性暴力について心のままに書いている。
共著『マスコミ・セクハラ白書』(文芸春秋)。

「2023年 『性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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