不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

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  • 講談社 (2017年11月15日発売)
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戦後世代の我々に戦争責任はない。と言う人は多い。そのことの是非は置く。私は著者が、最終章につい書いてしまったこの様な文章に、どう対応すべきか皆さんに問いたい。

僕は毎年、夏になると、「いったいいつまで、真夏の炎天下で甲子園の高校野球は続くんだろう」と思います。地方予選の時から、熱中症で何人も倒れ、脱水症状で救急搬送されても、真夏の試合は続きます。(略)こう書くと「純真な高校球児の努力をバカにするのか!」とか「大切な甲子園大会を冒涜するのか!」と叫ぶ人がいます。僕は「命令された側」の高校球児を尊敬し、感動します。もちろん、大変だなあと同情しますが、けなしたり悪口を言うつもりはまったくありません。問題にしたいのは「命令した側」です。ですが、怒る人は、「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。「命令した側」への批判を、「命令された側」への攻撃と思うのです。その構図は、「特攻隊」の時とまったく同じです。(略)けれどいつものように、炎天下の試合は続きます。甲子園大会は所与のものだからです。昼の12時から3時までは試合を休止しようとか、ナイターをスケジュールに入れようとするとか、そもそも真夏を外して秋にしようとか、そういう提案を主催者側がしているという話を僕は聞いたことがありません。大人達は、誰も言い出さないまま、若者達に命令するのです。それもまた、とても、特攻隊の構図と似ていると感じます。(284p)

1人の華々しい「死人」が出るまで、私達は「黙認」するのだろうか?その時になって、初めて私たちは自らのことを棚に上げて責任論を叫ぶのだろうか?

現代に続いている「構図」が、あまりにも多い。

日大アメリカンフットボール問題は、まさしく「命令された」志願者が特攻した若者の問題だった。

似たような他の問題でもそうだ。「命令した側」は、未だ政府の頂点やNo.2含めて「そんなことは言っていない」と言い逃れる。いや、言い逃れた。それが可能になった。可能にする社会の構図がそのまま温存されているからである。

9回も「嫌だ」と、行動に示した佐々木友次さんはヒーローである。けれども、最後にニヤリと笑って散っていった「永遠の0」のような映画化の予算はつかないだろう。それが現在の日本社会の民度だからである。

2018年10月読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: は行 ノンフィクション
感想投稿日 : 2018年10月15日
読了日 : 2018年10月15日
本棚登録日 : 2018年10月15日

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