内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2018年12月19日発売)
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「日本は戦争を(ほとんど)しなかった国である」と著者は言う。やっとそのことに気がつく人が現れた。と私は思った。「もちろん、個々の合戦の現場における実態は苛烈なものであり、犠牲になった多くの人たちは気の毒としか言いようがないが、たとえば中国・韓国やヨーロッパの研究者が見たら、おそらく笑うのではないだろうか。何と平和な国だったのだろうかと」(4p)「外国ではんざつに起こった民族同士の戦争のような徹底的な殲滅戦は」日本では起こらなかったのである。そこまでは私も同意する。しかし、我が意を得たりの本ではない。「何故なのか」ということは、この著者は(ほとんど)分析できていないのである。

概観は「おわりに」で突然示される。「中国大陸や朝鮮半島から離れた島国であったために海外勢力からの侵略を想定せずにすみ、強力な中央集権国家建設の必要性をそれほど感じなくても良かったこと、逆に日本列島からも海外へ武力進出する可能性も低かったために、強力な軍事国家建設の意思を持つこともなかったのであろう。また、周辺にほんとうの意味での異民族が存在しなかったために、国土が侵攻されるという危機感も薄かったはずである。さらには、易姓革命を否定して世襲を支配の根拠とした王権を作ったために、本気で王権を倒す勢力も登場せず、王権側も革命に対応する武力を用意していなかった事も大きな要因である。加えて、王権を囲繞する支配者層も、その中枢部のほとんどは王権を擁護することを旨とした藤原氏によって占められ、軍事をになった氏族も王権から分かれた源氏と平氏、そして藤原氏の末裔によって占められたために、武力行使勢力さえも世襲された」(303p)。しかし、本書の大部分を占める歴史的記述の中で、「この時点で、この人が、こちらを、この為に、選択した為にこうなった」という事は(ほとんど)書かれなかった。何故この人がこれを選んだか、ということを内戦の事象ごとに詳しく分析することこそが、この本の役割だったのではないか?何のためにこの本を書いたのか、意味がわからない。

著者は邪馬台国九州説を採る。私は畿内説だが、それはどうでもいい。邪馬台国や、やがて出来る大和政権がまさに一国を殲滅させるような全面戦争を回避して倭の国を作った「選択」については、一切分析しない。本書が文献にたよっているので、考古学知見からのモノの考えかたをしていないためである。しかしこの最初の「選択」が、私は最も重要だったと思っている。例えば龍神信仰でもいいけど、この最初が、「大きな権威」となってその後の日本の支配層を縛っていったのだと、私は観る。しかし、結局そういう本は未だに現れない。

2019年3月読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: な行 ノンフィクション
感想投稿日 : 2019年3月20日
読了日 : 2019年3月20日
本棚登録日 : 2019年3月20日

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