未来国家ブータン

著者 :
  • 集英社 (2012年3月26日発売)
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感想 : 71
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「未来国家」というよりは「ロストワールド」ブータンだ、とつくづく思う。実際、高野秀行は今回の旅を称して「これは遠野物語的だ」と何度も言い放っている。「遠野」の人たちは昔話をするつもりで話したのではなかった。みんな「現実(リアリティ)」として喋ったのである。だから、みんな実在の地名と名前で喋っている。ブータンでも例えば「そういえば、つい2日前神隠しに遭った女の子が帰ってきた」という話が普通にドンドン出てくる。普通の民俗学者がこれを読んだら、「もう明日にでもブータンに行きたい!」と思うはずだ。私が未だ大学の常民文化研究会に居た若い20代ならば、きっとそう思ったはずだ。何故ならば、100年前の日本には其処彼処にあったそんな語り手は、現代では絶滅し(かかっ)ているからである。

2010年4月より遡ること数ヶ月前、高野秀行はブータンの農業省の国立生物多様性センターと提携して事前調査を依頼される。しかし、旅行費用は自前で。いくら辺境大好きだからと言って、それはない、と思った途端に彼にキラーワードが囁かれる。
「高野さん、ブータンには雪男(イエティ)がいるんですよ」
村人ではない。政府の高官が言っているのである。
高野秀行は即答する。「行きましょう!」

確かにブータンでは雪男(ミゲ)の話が其処彼処(そこかしこ)に語られる。でも決して映像に入るとか、実在の痕跡を見つけるとか出来ない。つい最近までの体験として語られる、というのは正しく「遠野物語」だ。

それどころか、謎の生物チュレイ(ロバやヤクに似ていて、赤い顔、赤い足の裏、長い前髪)の目撃譚も語られる。政府の役人と共に辺境を旅しながら、高野さんは伝統的な生活もきちんと記録し、人々の信仰、雪男や毒人間、精霊や妖怪も生き生きと伝えられてゆく社会を記録してゆく。

日本を含めたアジアの国々は悉く、近代化によって伝統文化を壊し、高度な教育や医療・福祉を実現し、環境を破壊して、知識人は国家を否定し或いは寄生し歪んで成長してきた。その一方で、ブータンは近代国家のいいところを吸収し、弊害を取り入れまいと意識的に努力しているかのようだ。それが高野さんが「未来国家」という根拠ではある。

ブータン国家論を展開すれば、また長い学術書になってしまう。私たちは「軽い読み物」として、高野秀行版ブータン版遠野物語を読んで「願わくばこれを語りて平地民を戦慄せしめよ(柳田國男)」となることを楽しみたいと思う。

表紙は、影山徹さんが本書のために描いた(と思う)、東京上空に天空の城ラピュタみたいに浮かぶブータンの山々。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ま行 ノンフィクション
感想投稿日 : 2022年4月12日
読了日 : 2022年4月13日
本棚登録日 : 2022年4月11日

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コメント 3件

naosunayaさんのコメント
2022/04/16

常民文化研究会、ってあの網野善彦さんの??ともかく必読だということはわかりました、ありがとうございます

kuma0504さんのコメント
2022/04/16

おお、よくご存知で。大学の民俗学研究会なので、その名前をお借りしました。年一回1週間泊まり込みで聞き書きなんかもしました。

naosunayaさんのコメント
2022/04/16

なるほど研究所じゃなくて研究会ですね
ともあれ素人ながら関心分野なのでぜひ引き続きフォローさせていただきます。

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