タイトルから推測して、読む前は、内容全てが、吉野さんのお母さんのエピソードで構成されているのかと思い込んでいたので、最初こそ戸惑ったものの、読んでいく内に、その懸念は気持ち良く払拭されていった。
本書は、冒頭の漫画「オースターたち」のみ「ユリイカ(1999.1)」で、他は「本の雑誌(1996.11~99.6)」が初出である、漫画家吉野朔実さんの本の紹介から派生した、コミックエッセイとなっているのだが、彼女の凄いところは、たとえ本のタイトルを知らなくても楽しめるような、エッセイの内容の面白さにあると思う。
それは、読んでいくにつれて自然と実感させられた、真底、本が好きなんだなという、彼女の本に対する直向きな思いへの共感と、あとがきでも書かれていたように、一人で楽しむよりは皆に投げ掛けることを至上の喜びとする、彼女ならではの人との繋がりを大切にした本の楽しみ方と、あとはやはり、本を通して繋がる家族同士の温かい絆が、とても印象深く、これらで構成された、単なる本の内容紹介に留まらないエンタテインメント性には、これぞ『吉野朔実劇場』なんだと実感させられると共に、そこには、彼女の素の魅力が内包している。
例えば、シンプルな本に纏わるエピソードにしても、『自分で勝手にストーリーを展開させて、ひとりでぜんぜん違うところに行っちゃって、びっくりする(想像通りの展開であって欲しい訳でもない)』や、いっぱいある中でも、特に大事な本をすぐに持ち出せるような、『もしも袋が実家に2つある』の、「そうそう、分かる、分かる」と思わず肯いてしまう中にもあるチャーミングさが、もっとさばさばした姐御風のイメージを抱いていた私には、意外で面白く、もしも袋は、私もたまに考えるんだけど、実際に行動に移さない時点で、本の愛が足りないなと思う一方で、限られたスペースに何を選ぼうかと考えるのが楽しくて、いつも、そこで完結してしまうんですよね。
また、皆に投げ掛けるテーマで面白かったのは、『栞(またはスピン)』は、何を使ってどこにどうやって挟むか議論が、人によって、こんなにも変わるのかといった、その人の読書の嗜好性とも結び付いているのが興味深く、もう一つは『私はこれを読み切った自慢』で、これは男女それぞれにあるのが、また面白く、男性編では、私が彼女を知るきっかけとなった歌人の穂村弘さんが、ものすごいイケメンで描かれているけれども、それに反して、読み切らなかった本ばかり挙げている、煮え切らない答えに思わず笑ってしまい(最後には禁じ手)、女性編では、会社員の高泉昌子さんの、「ふ」と、ため息を漏らしながら呟いた、『人はそれぞれ戦う本ていうのに一冊は出会うのよね』と、吉野さん自身のそれに、若さを省みた時のこそばゆい感じが、愛おしさに変わる瞬間を垣間見られたのが、忘れられない。
さらに、忘れられないといえば、吉野さんの家族との絆も同様で、それは、お父さんの自由な振る舞いに、ああだこうだ言っても感じられた、吉野さんやお母さんの口に出さなくとも分かるような、信頼の伴った愛情であり、そこには皆が読書好きであることが密接に関わっていたことも、更に感動を引き起こしてくれて、改めて本の力を思い知る。
そして、タイトルからも感じられた、吉野さんのお母さんの、いわゆる普通が一番といったポリシーは、彼女自身の才色兼備で現実主義な一面と似通ったものもあったが、その一方で、吉野さんへの揺るぎない愛情を持っていたことも確かなのが、痛いほどに伝わったのが、『親不孝者』のひと言であり、これは、子どもの頃のエピソードだから関係ないんだと思いつつも、吉野さんの亡くなられた事が、ふと頭に過ってしまい、しんみりとしてしまったが、それだけ吉野さんにとっては、いかにお母さんが好きだったのか、よく分かるエピソードであった。
本書は、111108さんのレビューにより、出会うことが出来ました。
ありがとうございます。
- 感想投稿日 : 2024年2月23日
- 読了日 : 2024年2月22日
- 本棚登録日 : 2024年2月22日
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