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感想・レビュー・書評
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久しぶりに読んだけど、やっぱり難しい本です。
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初めて読んだのは50年ほど前、小学校の読書感想文だったと思います。
その頃の記憶がうろ覚えですが、教師をしていたときに不登校になっている子がいて少しでも気持ちを理解しようと思って手に取ったのが30年くらい前でしょうか。
いろいろと考えさせられる本で時々手にとって読んでいる良書です。 -
うだうだと生きるモテ男のお話。
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この作品の主人公は複数の闇(駄目人間としての素質だけでなく)を抱えており、読む人に必ず一つは思い当たる節を与えてくれるタイプの駄目人間である。
まだ、自分の胸にはそれ以上もそれ以下にも響かなかった・・・。もう少し間をおいてから再読してみたい。 -
へビー。人間のカスな部分が見えた
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自分が抱えている、社会への漠然とした不安や、他人への不信感を代弁してくれるような作品でした。数年後にもう一度読んだ時、もっと深く理解することが出来ればいいなと思います。
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共感することが非常に多い文章だが、安易にそれを述べると
『自意識過剰なやつ』『薄っぺらな感性で太宰を語るな』と言われそうで感想を書くのが怖くなる作品 -
比較的、読書感想文の書きやすい内容の本だと思う。理解できなくてもそこまで問題ではない。
解説にかいてある、
本物の人間性とは主人公の描いた絵のようなものなのではないだろうか。
とかいう文章が胸に突き刺さった。
キャッチコピーを考えた人がすごいと思う。
ひとがひととして、ひとと生きる意味とは
確かにこれは問題作だ。読むたびに忘れそうだったことを思い出させてくれる。 -
学生諸君は、夏休み真ッ最中ですな。夏と言へば文庫100冊。暑くて読書どころではないかも知れませんが、わたくしは時間が有れば、近所の冷房の効いた図書館にて色色作業をしてゐます。わたくしが居住するA県T市は、割かしハコモノが充実してゐて、この図書館も中中のものであります。税金を払つてゐるのだし、公共の施設はガンガン駆使しませう。
「新潮文庫の100冊」は、わたくしが子供の頃からあるキャンペインで、以前からすれば「古典的名作」の比率は減つたやうな気がします。その中にあつて、太宰治『人間失格』は、30年来発行部数二位の地位を占めてゐるさうです。(一位は『こころ』)
まあ多くの人に読まれてゐからといつて、必ずしも優れた作品であるとは言ひきれませんが、ツマラヌ空虚な作品ならば、如何に版元が煽らうと、大衆は手に取らぬことでせう。
さてこの作品は、大庭葉蔵なる主人公による、「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」から成り、それを「私」による「はしがき」と「あとがき」で挟む形になつてゐます。
葉蔵は幼時より、人間の営みといふものが分からず、その対応策として「お道化」によつて相手を笑はせる術を身につけます。本心を見せない、孤独な人生が早くも始まつてゐたのでした。
裕福な実家より期待をかけられながら(本人はその自覚はないやうですが)、悪友(堀木)の影響で酒や女に溺れ、クスリにも手を出し、破滅への階段を登つて行きます。「お道化」の皮を剥かれる恐怖から逃れるためのやうですが、ここまでしないといけないのか。
そして女と心中自殺を図り(女だけ死ぬ)、自殺幇助の罪に問はれます。表向きは実家から縁切りの形で、父親は監視目的か「ヒラメ」なる男に葉蔵の世話を依頼しました。
「ヒラメ」の監視下でも葉蔵は本心を隠しますが、「ヒラメ」は容赦ありません。葉蔵を責め、将来の展望を無理矢理語らせやうとするのでした。耐へ切れずに葉蔵は「ヒラメ」から去り、隠遁の道へ。バアのマダムのところに転がり込んだり、純情娘のヨシ子と刹那的な安らぎを手に入れたり。しかしあらうことか、疑ひを知らぬヨシ子は、出入りの商人に騙され、いたづらをされてしまふのです。ああ、何といふこと。全てに絶望した葉蔵は、一層酒に溺れ、クスリ中毒になり、またもや自殺未遂事件を起こし、その荒廃ぶりは実家にも知れることとなります。
そして「ヒラメ」と堀木がやつてきて、葉蔵を「療養せよ」と諭し入院させます。サナトリウムだと思つてゐた葉蔵は、実はそこは精神科(当時の言葉で言へば、き○がい病院)であることを知り、再びショックを受けるのでした。自分は狂人扱ひされてゐたのだ。この瞬間の為に、本作は執筆されたのかも知れません。
その後長兄から父の死を知らされ、病院を出て、実家から汽車で四、五時間の場所にある、かなり老朽化した家屋に移動させられます。まだ27歳なのに、たいていの人から、40以上に見られると語り、手記を終へるのでした。
改めて読んでみても、やはり暗いなあ。ただの暗さではありません。
太宰治はかつて、芸術はサーヴィスで、ご馳走を読者に提供するべきといふ意味のことを、志賀直哉を批判した文章の中で書いてゐました。その言葉通り、太宰作品は絢爛たるご馳走で、読者に至れり尽くせりのサーヴィスを提供します。
ところが『人間失格』においては、さういふ面はほとんど見せず、まるで遺書のやうに、自らの為に書かせてくれと言はんばかりの筆致であります。読んでゐて辛い場面が多いのに、目を背けることが出来ない迫力に満ちてゐるのです。巷間言はれるやうに、自己憐憫の文学ではない。
もしさうであるなら、死後67年を経た現在でも、若いファンが増え続けてゐる事実はありますまい。甘いですかな?
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女が寄っていく、宿命、そして天才。