人間この未知なるもの (知的生きかた文庫 わ 1-8)

  • 三笠書房 (1992年5月1日発売)
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感想 : 17
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後半になるにつれ、多少急進的で過激な意見も含まれている。が、毒ガスによる処置、などに対し哲学者はどう反論するのだろう。人間淘汰が必要である、と言いつつ、全ての層の人間は必要である、という意見もあり、この人の良かれとしてる部分が前半から後半にかけて変わっていっている印象

【人間この未知なるもの】
45...人間が科学と物理を飛躍的に発展できたのは、抽象化能力にある。これにより「法則性や美しさ」が見つかるため。またこのような行為を人間は好む。しかし、人間の研究は複雑すぎる、小さすぎるために避けられがち。よって最も難しいと言える。
51...富と安楽をもたらした知性の勝利の前に、道徳的価値は自然下落した。特に下層階級に属する人達は大きな恩恵を受けた。しかし、それらの娯楽や低俗な楽しみを喜ばない人も出てきている。安全を求める願いが満足できないため。精神病患者も増えた
57...現代文明は知性や想像力、勇気に恵まれた人を生み出さない。実際、公的機関の知性や道徳水準は低下している。これらは国家を危険に陥れる。つまり現代文明は人間に適していない。これらの発達の基礎の科学は偶然によって成長してきたから。これらは人間を苦しめている。克服には人間の科学が必要である
68...命題には作業概念に基づく、つまり実験や観察の出来るものでないと無意味である。大脳新皮質の細胞がピラミッド状であることは実験でわかったが、大脳の細胞が神経の中枢だという命題はまだ無理。さらにある概念はその系でしか使えない。過度の一般化は間違いである。
76...時代の持つ偏見は捨てること。現代の理論で説明できないものを無いものとしないこと。現代の科学者は人間研究において、知性や器官、体液にのみ傾倒しすぎている。感情や内面的なもの、宗教的なものには注意が払われていない。
84...各分野が専門化しすぎている。これはある種仕方がないが、危険な状況でもある。他の分野を知らないことで自らの分野を充実出来ないなど。また分析されたデータを総合する必要がある、が、これは発明などと同様個人によって為されないといけない。kさらに、狭く深いより広く深い方が当然難しいが、人間の状況を測る方法が様々な分野からのみのため、やらざるを得ない
157...肉体と精神を分けて考えてはいけない。デカルトの二元論は誤りであり、一個の複合体として研究せざるをえない
171...道徳は知性に必要不可欠であり、これを欠くと社会も徐々に崩壊する。そのため科学的面から主に実地研究がなされるべき。同時に、産業第一主義は知的活動を禁じ、美的活動を弱める。初歩的であれ、仕事において美的感覚を味わえるならば幸福である。
181...大多数の人間はバランスがとれているが、天才はそうでない。社会は往々にしてこの不幸なものたちのおかげで進歩する。また彼らには性欲が強いという共通点があり、同時にそれが抑制される状況にあるときが一番
210・・・人間には生理的時間と物理的時間を持つ。そして、過去から未来に向かい流れていくが、人間は歴史そのものである。そのため、経験した全ての出来事は蓄積し、病気や怪我は回復こそすれ傷跡が消えることは決してない
226・・・年をとっても隠退をしてはいけない。暇は若者以上に老人にとって危険である。もし精神的にも肉体的にも充実した生活が送れるのであれば、子ども時代のような一日の長さを感じることもまた可能であろう
231・・・幼児期の我々には多様な可能性を持った同一人物が共存しているが、選択をしていくうちに一人ひとり死んでいく。その度ごとに潜在能力も捨てていき、最終的には一本の道を辿ることになる。人間は環境と自分自身によって創られる
260・・・人間は物理的環境に適応するように出来ている。それが若いころに行われた結果であれば、その周辺環境は身体に対して刻印を残し、永久に残る。アルプスの山頂に送り込まれた兵士は、赤血球の増加や心臓の強化が行われる。同時に社会的環境にも様々に対応する。アインシュタインやムッソリーニは闘争という形で対応し、休む暇も無く働き続ける人はどんどん環境に適応する、夢や希望に満ちた人も同様であり行動の源泉としては有用である、また逃避する人もおり自分の内なる世界に逃避する、そして精神病患者のように決して適応できない人もいる。ただし近代的な生活は、その適応力を奪っている。寒さに鞭を打たれる人の割合は急激に減り、運動も人工的なもので補えるかどうか不明だ。しかしこれらの要素は精神にとって欠かせないはず。
311・・・現代は人を、個人としてではなく抽象概念またはプラトン的な「人間」としてみる。これは機会による大量生産の工場現場に現れ、大人を萎縮させることに繋がっている。小さいグループを形成していれば、人間は個人としていられるのである。それに伴い、社会全体に同じ権利が与えられることは間違いであり、エリート層とそうでない層を同じ教育現場に入れるのは間違いだし、男女の区別を無視することも危険である。しかし、エリートでない層が劣っているのではない、すべての人間は必要である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会学
感想投稿日 : 2013年8月16日
読了日 : 2013年8月16日
本棚登録日 : 2013年8月13日

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