日本軍「慰安婦」とされた女性たちの体験については、すでにドキュメンタリー映画や証言集など、多くの表現物がつくられてきた。グラフィックノベルという形式で何か新しいものが生み出せるのだろうか。
そんな疑いは、この450ページ超にわたって展開される力強い絵の前に吹き飛んでしまう。けれども、描き手が語り手イ・オクソンの体験に接近するやり方は、ぐいぐいと肉薄するというよりも、やわらかで慎重だ。
植民地支配と戦争、家父長制の下で、まさに筆舌に尽くしがたい苦しみを生き抜き、「母さんのお腹から出てきて以来いいことはひとつもなかった」という老女の体験に、外部の者はどのように接近しうるのか。語れないことをどのように聞いたらよいのか。そのひとつの答えを、この表現は示している。
目の前にいるイ・オクソンというひとりの女性の顔は、ときに抱きしめたいほど愛おしく、ときには触れることのできない黒い影を宿して接近を拒む。その内側にある、すべてを語ることのできない経験を手探りしながら書きとめようとする筆もまた、ときには風のように軽やかで、ときには重油のような粘る重さだ。
何度も、思わず息を止めるような表現に出会った。とりわけ印象深く刻まれるのは、少女の前に広がる広大な星空、草原、山々、木々だ。その自然は、小さな人間を絶望させる巨大な力でもあり、その中でもがく小さな存在を抱きとめてくれるものでもある。厳しい冬の時間をそれでも貫いて生きた一本の草のような人生がここにある。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
コミック・グラフィックノベル
- 感想投稿日 : 2023年4月2日
- 読了日 : 2023年4月1日
- 本棚登録日 : 2023年4月2日
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