新装版 大名廃絶録 (文春文庫) (文春文庫 な 6-21)

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  • 文藝春秋 (2007年7月10日発売)
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武家にとって御家断絶以上の悲劇はあるだろうか。慶長5年の関ヶ原役以後、徳川幕府によって除封削封された大名家の数は240。理由は世嗣断絶、幕法違反、乱心などさまざまだが、幕府は狙ったら必ず何かを見つけ出した。本書は廃絶の憂目にあった大名家の中から福島正則、本多正純など12の悲史を描く名著。(単行本1976年刊、旧版は1993年、新装版2007年刊)
 徳川幕府の大名廃絶策
 里見安房守忠義
 松平上総介忠輝
 福島左衛門大夫正則
 最上源五郎義俊
 本多上野介正純
 松平三河守忠直
 加藤肥後守忠広
 駿河大納言忠長
 生駒壱岐守高俊
 加藤式部少輔明成
 堀田上野介正信
 松平中将光長

元本は1976年の刊ということで、本書も視点が古い。本書では徳川幕府は諸大名を強圧威嚇し隙を狙って改易したとしているが、近年の研究では見直しが進められ従来の徳川家の一方的な圧力という説は大きく変更される可能性があるという。(江戸期の社会実相100話 日本風俗史学会編)
福島正則については、通説では本多正純の謀略とされているが、実際は無断築城がわかった後に、執政たちは穏便にすませようとしたが、福島側の度重なる手落ち(破却の不実行、人質の不提出)により改易となったという。加藤忠広についても、通説では世子のいたずら文書により謀反を疑われたためとするが、妻子を密かに国元に送ったことが原因と見直されつつあるようだ。

本書を俯瞰して読むと、二代目三代目の不行跡により改易となった例が多い。みんなバカ殿ばかりである。また、多くの例が功臣と争い御家騒動により取り潰されている。君主権力の確立にともなう争いは、生き残った諸大名家でも行われている。徳川家の圧力というよりは、御家騒動が度を越してしまった事の方が大きいのではないかと思う。
どの事例もワンパターンで、話としてさほど面白いものではないが、大名廃絶について知識を得る事が出来るのは貴重である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史(江戸)
感想投稿日 : 2013年9月8日
読了日 : 2013年9月7日
本棚登録日 : 2013年8月11日

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