「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
今や押しも押されぬ大家となられた村上春樹氏のデビュー作であるこの小説は上記の文章で始まる。村上氏が小説家として最初の一歩を踏み出されたのはこの文章からだったのか。「おお〜っ!」って感じ。
村上春樹氏の小説の主人公やその周りの人々の考えていることは、はっきりいって良く分からない。いつもニヒルで言葉が少なくて、謎掛けみたいな言葉ばかりでクールで…。
親友の“鼠”という男の正体は何なのだろう。この親友との関わりがちょっと前に読んだ「羊を巡る冒険」まで続くので今回読んでみたのだが。それに、彼の小説の主人公が付き合ったことのある女性が自殺していることが多いのはなぜだろう。何かのメタファーだろうか。村上氏が直接関わった人々がモデルだろうか。それとも村上氏の分身だろうか?鈍感で、四角四面な思考回路しか持っていない私には分からない。
でも、まあいい。分からなくても。彼の小説の読後感とか読んでいる時の気分の快感さだけは分かるようになった。この小説の主人公の歳(21歳)の二倍以上もかけてやっと。本当にこの小説の“僕”がすでに感じていた“悲しみ”というものを私は、何倍も時間をかけて迂回して少しは理解出来るようになった。
「泣きたいときには、いつでも泣けないものだ」というときの酸っぱい味を彼の小説で味わうことが出来るようになった。
村上氏はハートフィールドというアメリカ人作家の影響を受けて、小説を書こうと思ったと書かれている。ハートフィールドという作家はその自死のときにも殆ど話題にならなかったほど不毛な作家だったらしいが、短い作家人生の中で、膨大な数の言葉を書きまくっていたらしい。
村上氏もこの小説から出発して沢山の小説を言葉を世に送り出して来られた。彼の小説を読んでいると「小説なんて世の中の役に立たない」というようなことを言っているようだが、それでも私は村上氏が一瞬一瞬感じられる形のない感情を“言葉”という形を借りて描いて残されてきたものが財産だと思うし、これからも出来るだけ生み出していただきたいと思う。
- 感想投稿日 : 2022年3月3日
- 読了日 : 2022年3月3日
- 本棚登録日 : 2022年3月3日
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