幕臣たちの明治維新 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2008年3月19日発売)
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感想 : 28
5

大政奉還後の徳川家幕臣についての新書。
明治政府関係者や、上野戦争や西南戦争関係者の本はよく見ますが、
あまり徳川家のその後ってのは知識がなかったので借りてみました。
なんかほんのーり平和に過ごしてるかと思ってたら全然違っていました。

旧幕臣の数は旗本6000人+御家人26000人、合わせて3万人ほど。
けれど明治政府によって静岡藩に封ぜられた徳川家が養えるのは、
かなり給与カットしても5000人が限界でした。大リストラと大賃金カットです。

徳川家も慌てて、
①明治政府に出仕する(明治政府に5000人の採用枠があったので)
②御暇願を出して農業や商業を始める
③無禄(給料ゼロ)覚悟で静岡に移住する
この3つの選択肢を藩士たちに提示しました。
しかし①は従来の江戸屋敷も禄高も保証されているにも関わらず、
徳川についていればなんとかなるだろうという希望、
および政治的感情からほとんどの人間が③に入ってしまい徳川家も困ってしまいました。
まぁ江戸の商人たちも徳川のお膝元という誇りが大きく、
実際に朝廷に出仕した人間には魚や野菜を売らないとか、
街を堂々と歩けないような徳川味方の世間の風潮もあったのですが。

ただ②と③の幕臣には非常に厳しい現実が待っていて、
②はやはり急に商売をしても失敗する例が非常に多く、
料理屋は大赤字を出し、金貸しは踏み倒しにあい、
道具屋にいたっては江戸を離れる幕臣が家財を二束三文で手放したため
市場価格が暴落し、商売で1年もった者などほんの一握りだったようです。
少しあとに政府が奨励した商売などもあったのですが(うさぎ飼育とか)
政府も曖昧にすすめてたので結構一文無しもザラだったみたいです。

③についても、まずは静岡までの移動で地獄が起きました。
家臣団の移住では陸路のほかに海上輸送(船)もあったのですが、
人人人のすし詰めでこれだけで死者も数名出たほどでありました。
しかもやっとの思いで辿りついた静岡でも厳しい現実が待っていて、
給与カット率99%というとんでもない状況に
その日食べるものにも困る幕臣が続出していました。

けれど幕臣の集まるだけあって静岡藩の知的水準は非常に高く、
静岡学問所では漢学・国学・英語・仏語・蘭語・独語のコースがあり
沼津兵学校では兵法以外にも政律・史道・医科・利用などの課があり
その最先端の学問に各藩からの教員としての派遣の要望も多くありました。
藩だけじゃなく明治政府からの出仕命令(引き抜き)もありましたし、
藩の赤字状況などを体験して言論界や財界に行く者もいたそうです。
でもやっぱり多くは農業(茶園や牧場作業)などに付いたり
開墾に携わったりとかなーりしんどい感じだったみたいですね。

徳川っていう名前だけでまあ大丈夫でしょとか思っていたので、
結構読んでいて衝撃というかびっくりしました。
他にも江戸っ子の心情だとか、他の旧徳川派の藩のゆくすえだとか、
いろいろあるので歴史好きにはちょこっと目から鱗で面白いかもしれません。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンジャンルエッセイ
感想投稿日 : 2009年12月28日
読了日 : 2009年4月22日
本棚登録日 : 2009年4月22日

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