戦後日本のジャズ文化: 映画・文学・アングラ

  • 青土社 (2005年7月1日発売)
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感想 : 11
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最近、ジャズを聴く事が多い。好きな音楽はいろいろあるのだが、定期的にジャズが聴くものの中心になる。単なる気分なのか。今度の場合、リスニング環境が最近すこし変って、ジャズ以外の音楽が今ひとつうまく再生できないというのもありそうだ。

いずれにせよ、フリージャズ的なものを中心としながらジャズを聴くと、なんだか時代錯誤な感じがしてくる。もちろん、フリージャズを「これが最先端だ」なんて思って聴いているわけでなくて、単にその辺が個人的に聴いてて面白いから聴いてるだけなんだけど。

なんてことを思っているうちに、「日本におけるジャズの受容の歴史」みたいなことが気になりだし、この本を手に取ってみた。

まさに戦後の日本文化に対してジャズの担った役割とその変遷というのが、うまくまとめてあると思う。五木寛之の初期のジャズをテーマにした小説の分析は的確だし、ジャズの精神であるはずの自由に反するジャズ喫茶の抑圧的なルールみたいなのも面白い。また、ジャズ評論家として相倉久人や平岡正明に言及しているも実に鋭い。最後のほうで、やっぱりこの人に出てもらわなきゃな村上春樹もちゃんとでてくる。
個人的には植草甚一について1度ちょっと触れる程度でまとまった言及がないのは、すこし寂しかったが。。。

いずれにせよ、一番面白いのは、60年代~70年代前半という日本でのジャズ文化全盛時代の分析で、当時の様々なカウンターカルチャーや政治状況と絡みつつ、多分に観念的なものとして、先進的な若者の必須科目としてジャズがあったということ。

つまり、絶えず進化しつづける自由な音楽、体制に対する抵抗の音楽として、ジャズが聴かれていたということである。そのこと自体は必ずしも間違いではないのだが、それが、教養主義的、教条主義的な日本的なジャズの聴き方を生み出したわけだ。

そして、そうしたイデオロギーから解放されて久しい今、ジャズを聴く人は多くない。が、喫茶店やレストランのBGMを通じて、限りなく日常的に消費され続ける音楽となっているわけである。

というなかで、私は、ornette coleman, eric dolphy, don cherry, art ensemble of chicagoみたいないわゆるフリージャズを今ただ音楽としての面白さのみから聴いているわけだが、なんだかやっぱり変な気持ちになるな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年5月3日
読了日 : 2009年4月6日
本棚登録日 : 2017年5月3日

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