月の上の観覧車 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2014年2月28日発売)
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全8篇の短篇集。そのどれにも別れや死などの「喪失」があります。そしてそのすべてに中高年以上の人物が主人公だったり重要人物だったりして、彼らが過去を振り返りながら(あるいは、彼らの過去を振り返りながら)喪失と彼らの関係を自身や関係者が確かめたり受けとめたりしていきます。現実と過去との交錯の仕方が特徴的な短篇集でした。

過去の社会状況。それも田舎町や地方都市、都会、それぞれによって違いがあります。さらに、人それぞれにその状況下での個人的な体験や経験がありますし、関わってきた大勢の人たちからの影響を受けたり、逆に彼らに善い影響や悪い影響を与えたりして生きている(そんな個人の集まりが社会をつくり、その社会がまた個人をつくります)。

ひとりの人間を形作っているのは、そういった個別の経験や運命です。たいがい人は、他者の個別性の、ほんの外側のうっすらとした膜だけしか見えていなかったりします。その他者が家族や恋人や友人であったら、もうちょっと深く視線が届くかもしれません。でもそんな近しい彼らが対象であっても、個人まるごとを理解するくらい深く見通すことはできないのだと思います。

だから世間には、他人への誤解、見誤っている判断が生まれがちです。でも、たとえばモノを盗んだ人、恋人をむげ扱う人、家族を大事にしない人などなど、傍から見れば関わりたくないし、よくない人だと決めてかかられてしまう人たちがいますが、そういう人たちだって、そうなってしまうまでの個別の過程・経緯があり、彼らにとってそれはほんとうの人生の、ほんとうの選択の積み重ねでできあがっていったがゆえの個別性なのです。そして、その個別性はむやみに否定されるべきものではありません。

本書は、そういったところに関心を寄せるような経験を、読者に体験させる作品群だと思いました。善か悪かではない、と二元論を否定する意見は世間にしっかりありますし、それは肯定されるべき意見だと僕なんかでも思うのですが、その否定の論説はどれも抽象的だったりします。ですが、そこに具体性を感じることはとても大切なことです。そのためには本書のようなフィクションの手を借りるとよいのでしょう。

本書は年齢を重ねたひとが読むとより胸に沁み込む読書になるような、ちょっと玄人好みっぽい作品かもしれません。でも、先述の個別性の話のように、他者への想像の仕方のとっかかりを教えてくれるような作品たちとして読むことだってできるエンタメです。

しっかりした語り口で作られていますし、安心して小説世界にひたれます。派手ではないですが、それが却って「いいねえ」と思う読書でした。短篇をひとつひとつ読了して新しいのを読むたびに、なんだか気持ちが豊かになっていくような気持ちにもなれました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2021年4月23日
読了日 : 2021年4月23日
本棚登録日 : 2021年4月23日

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