タイトルの通り、父親に母親を殺された子供の手記。
著者が6年生のときに母が「事故死」。
父とふたりで生きていこうとするも、実は父による殺人だったことが発覚する。
遺族の辛さやその表現は人それぞれで、死刑を望む人もいれば望まない人もいる。
死刑を望まないことと許すことはイコールではないし、望むにしろ望まないにしろ声を上げる人は色眼鏡で見られる。
遺族の気持ちを考えろと簡単に言ってしまえる人の多くは当の遺族の声を聞こうとしたことがない。
この本にも少し出てくる被害者遺族の原田さん(「弟を殺した彼と、僕」http://booklog.jp/item/1/4591082350も、そんなことを言ってた。
この人の場合は被害者遺族であると同時に、加害者家族でもある。
「母が死ぬ」だけでも大変なのに「母が殺された」という遺族の苦しみ、「母を父を殺した」という家族の苦しみ、「父親が犯罪者」というスティグマの苦しみまで加わる。
家族を殺されたから殺したやつを殺してやりたいと思うのも、
家族を殺されたからこれ以上家族を殺されたくない(たとえそれが殺したやつでも)と思うのも、
この本には出てこない意見も、被害者や遺族がそう感じたならそれらはみんな被害者や遺族として当然の意見だ。
この本で著者が訴えているのは、事件はそれぞれ違うから、遺族が望まない死刑もあるということ。
死刑についてきちんと考えて欲しいということ。
そこについては確かに考えるんだけど、それ以上にあまりにも傷ついた人に対するケアが不足している日本の社会について考えた。
この人はまだ20代だ。大昔の話じゃなくて、今世紀の話なのに。
事件自体が辛いのはどうにもできないけれど、この子に手を差し伸べる仕組みはつくれるはずなのに。
文章はあまりじょうずではない。
書いた時の時間と語られている時間が混在して、ちょっと読みにくい。
でも混乱も迷いも全部必死で伝えようとしている声はしっかりと届いてくる。
こんなに必死で伝えたい気持ちがあるってことを、受けとらなくちゃいけない。
終わりに付録として付いてある判決文の補足意見が、著者の訴えをきちんと受け止めたことを伝えようとしていて感動した。
あれはきっと、この人のために書かれた言葉なんだと思う。
関連
同じように母を亡くしたアメリカの子の話
「父がしたこと」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4774300969
- 感想投稿日 : 2014年2月15日
- 読了日 : 2014年2月14日
- 本棚登録日 : 2014年2月14日
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