自分に神学の素養がないあまりに理解が浅く終わってしまう箇所が何箇所かあって残念。
わたし的ハイライト↓↓
<本源的文節としての言語活動の生起>
動物的な音声、フォーネーは、なるほど、もろもろのシフターによって前提されているがそれはあくまで意味を表示する言述行為が生起するためには必然的に除去されなければならいものとしてである。音声の除去と意味の出現とのあいだにあっての言語活動の生起はその存在論的・論理学的次元が中世の思想の中に出現するのをさきに見たもうひとつの<声>である。そして、それは形而上学の伝統のなかで人間による言語活動の本源的な文節を構成しているのである。しかし、この<声>はもはや音声でないとなおも意味でないという身分をもっているかぎりで、それは必然的に否定的な次元を構成している。それは根拠である。が、<在ること>と言語活動が生起するためには根底にまで向かっていって消えてなくなるものであるという意味においてそうななのである。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
哲学/思想
- 感想投稿日 : 2010年5月13日
- 読了日 : 2010年4月30日
- 本棚登録日 : 2010年4月30日
みんなの感想をみる