国際秩序 - 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ (中公新書 2190)

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  • 中央公論新社 (2012年11月22日発売)
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 日本の国際政治学会は東大の坂本義和と京大の高坂正堯による大論争があった。坂本は現実主義の「力による平和」の過度の依存に警鐘を鳴らし、勢力均衡の論理ではなく、世界市民の共和的発想からの平和を基盤に置くことを考えた。一方の高坂は、勢力均衡の観点から坂本を批判した。このような議論が生まれた背景には16~17世紀の宗教戦争にまで遡る。そして、それぞれウェストファリア体制・ウィーン体制・ビスマルク体制・ヴェルサイユ体制・冷戦を経てそれぞれの時代に適した平和を国際社会では模索した。そこにおいては、均衡・強調・共同体の三つの考えを組み合わせて国際政治が動いていった。つまり、既存の国際秩序が新しい状況に応じて柔軟に変容し、進化して弁証法的な作用と反作用を繰り返した新しい国際秩序が作られた。本書ではこの三つの考えを中心に近世から現代までの国際秩序の展開を概観する。 
 この本で興味深かったのは、p 126の記述で、キッシンジャーが述べていた「逆説的であるが、全ての当事国が少なからず不満を持っていることが安定の条件であり、譲歩が降伏ではなく、相手と同様に自国も犠牲が生じているように思わせることが大事である。」という記述がある。この記述は第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制の過度なドイツの締め付けによる失敗を彷彿とさせる。やはり、一方的な正義感の押し付けによる善悪二元的な見方は単純であるが、敗戦国側に非を押し付けすぎるのではなく、その国の意向をある程度汲み取ることも大事かもしれない。いずれ、ウクライナ侵攻をしているロシアが国際社会で裁きの場に立たされる可能性は高いが、その際にも一定の恩を売り抑えつけることも大事だろう。
 また、善悪に関しての関連する興味深い記述として、p 256の「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるのは、決して真実ではなく、その逆も暫し起こる。」という記述がある。このような善意なる行為が、結果として悪意を持つ人よりも不利益を与える行動をしばし見る。
 例えば、日常レベルではプレゼントの状況があげられる。人にプレゼントを何かをあげるときに、それはその人にとって好みであるか、好みだとしてもそれを欲しがるだろうか、色は?大きさは?などを考えないとその人に迷惑になることもある。そのように考え出すとプレゼントをするのは非常に難しいし、かといって行為レベルの話を変えても、その人の好みによっては迷惑である。 
 それを国家間レベルでも当てはまるかどうかの断言は難しい。しかし、他国の善なる介入(例えばPKO)や一方的な正義をかざす軍事行動の結果として状況を悪化させてしまう可能性はありうる。とりわけ、日本は関連法案で自衛隊の一時的な海外派遣が可能になるものの、やはり憲法9条の制約以外にも、その国が本当に「悪」であるのか?介入するタイミング、方法、人員、滞在期間などは適切であるのか?を慎重に検討する必要はあるだろう。仮に介入すべきか否かの議論が発生する場合に、盲目的な他国の追従ではなく、その地域に詳しい官民が合同して情報収集をし、他国の世論も考慮しつつ、その情報をもとに慎重に決断する必要があるだろう。

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感想投稿日 : 2022年10月18日
読了日 : 2022年10月16日
本棚登録日 : 2022年10月16日

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