ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

  • 光文社 (2017年3月15日発売)
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試論、2冊同時感想。

米国の繁栄から取り残された、工場撤退後の産業地域、通称ラストベルト(錆びたベルト地帯)。ここの白人労働者層の不満の鬱積が、トランプ旋風の推進力だったことは大統領選の報道で知られているとおり。

その実情を余すことなく描いているという「ヒルビリーエレジー」を読んでいて、日本における参考文献は「下剋上受験」だと思った。こちらは、祖父の代から中卒の著者が、娘だけは違う人生を、と最難関中学受験にパパ塾で挑む記録文学(私としては躊躇いなく文学という言葉を使いたい)。

この2冊のテーマは、ある意味において強くシンクロしている。
テーマとはと言われると難しいが、自称「下層階級」に可能な「努力」とはなにか、といっていいかもしれない。
そして、著者の才能もかぶるのだろうか、エリート社会を垣間見た自称「下層階級」が放つ乾いたユーモアのテイストまで一緒なのだ(テーブルマナーネタ、そして受験や就職の面接での痛恨の失敗などなど)。
念のため、日本での出版年次は下剋上のほうが3年ほど早い。

「いまの状態は、彼自身の行動の結果である。生活を向上させたいのなら、よい選択をするしかない。だが、よい選択をするためには、自分自身に厳しい批判の目を向けざるを得ない環境に身を置く必要がある」(ヒルビリー、p304)

「私は今まで努力することを避けて生きてきた。その生き方を反省している。努力しようとしたことはあるがいつも挫折するのだ。結果に届くまでに諦めてしまうのだ。その生き方の中でなんとなく掴んだことがある。確かではないが、なんとなく思うことがあるのだ。『ブルドーザーのようにがんがん努力することは傍目には立派に見え誰もそれを馬鹿にすることはできないが、なぜか届くことなく終わり、その努力だけを褒められ、結果を褒められるには至らない』という理不尽な結末をなんとなく意識している」(下剋上、p152)

もちろん、この2冊の人たちのように家族が支えてくれる幸運に皆が恵まれているわけではない。チャレンジしたくてもその機会さえない人もいる。
しかし、社会が悪い、と善意の補助することでより事態が悪化する場合もありうることも、この、2冊はまた正確に言い当てている。

難関中の受験を終えた父娘の会話には、何度読み返しても涙腺を決壊させられてしまう。土木工事の経験からだろう、このお父さんは「流路を変える」という言葉を何度も使う。娘の人生だけでも変える、そう、過酸化水素水を酸素と水素に変えるけれど自分自身は何も変わらないあの二酸化炭素マンガンのように、私は娘にとっての触媒になるんだ、と。

ヒルビリーはより深刻で、幼少期の厳しい家庭環境がいかにトラウマとして残るか、という点に光があてられている。著者自身、薬物依存の母親に悩まされ続けてきた。
著者が理想の伴侶を得て少しずつトラウマを乗り越え、今かつての自分のような境遇にある子どもたちに想いを馳せる最終章には胸が熱くなる。

社会の分断を「貧しい善玉 対 悪いエリート」の対立構図で語ることを、一国の政党ですら恥じない今の世の中にあって、まだ突破口は残されていることを人々に伝え、必要な支援を惜しまない、そんな社会について考えさせられる2冊であった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2021年8月7日
読了日 : 2021年8月7日
本棚登録日 : 2021年8月7日

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