宮本武蔵(七) (吉川英治歴史時代文庫)

著者 :
  • 講談社 (1989年12月26日発売)
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積ん読チャレンジ(〜'17/06/11) 18/56
’16/09/16 了

「四賢一燈」と名付けられた、柳生但馬守宗矩、北条安房守氏勝、沢庵宗彭と武蔵の夜の一席から始まる第七巻。
安房守は将軍家御指南役に武蔵を推したいと考え、また三人ともお通さんを娶ることを勧めてくる。

結局、将軍家御指南役への推挙はお杉婆による風評被害から立ち消えになるが、世の賢人たちから支持を受ける人柄、闇に潜む柳生但馬守宗矩を看破する洞察力の鋭さなど、彼の非凡さがありありと見て取れる。

また推挙が取りやめとなったその日、武蔵は剣客としての力量のみでは無く、文化人としても非凡さを見せつける。
江戸城を辞する際、彼は屛風に絵を残す。
その描写が何とも言えず良いので以下に引用したい。

「「--門」
武蔵は、そこの豪壮な門を跨いで、ふと振り顧った。
入るが栄達の門か。
出るが栄達の門かと。

人はなく、まだ濡れている屛風のみが残されてあった。
一面に武蔵野之図が描いてあった。大きな旭日だけを、わが丹心と誇示するように、それだけに朱が塗ってあって、後は墨一色の秋の野だった。
酒井忠勝は、その前に坐ったまま、黙然と腕を拱(く)んでいることしばし、
「ああ、野に虎を逸した」
と、独り呻いた。」(P291)


この巻では、結局のところ仕官につくことはなかったが、武蔵という人間が剣客として一定の評価を世間から得、また宿敵佐々木小次郎も遂に細川家に仕官することが決まる。
それぞれに旅から旅を繰り返してきた二人であるが、因縁めいたその二人の運命も決着が近いことが予想される。


小野治郎右衛門忠明(神子上典膳)と小次郎の息詰まる決闘も見所の一つ。
武蔵と小次郎という二人の傑物の台頭は、そのままこの時代における剣客の世代交代を象徴していると言って良いだろう。


また、今巻でも登場人物同士の再開と悲しいすれ違いが描かれている。
というかある種クドいほどに各人物の人生の糸が絡み合わない(笑)

一巻から孤児として描かれてきたお通さんと、武蔵の新たな弟子・伊織が姉弟であったという衝撃の事実。

侍の子として生まれながら、奈良井の大蔵の下で泥棒に身をやつしていた城太郎。
その城太郎に沢庵は久しぶりに出会うことになるが、再開の一瞬前に城太郎の父・青木丹左衛門と出会っていたという運命のいたずら。

互いの顔を知らないながらも、同じ師に仕える兄弟弟子として不運な形で出会った城太郎と伊織。

その奈良井の大蔵に運命を狂わされた城太郎と伊織の許に現れて道を示す沢庵和尚……

沢庵はまさしくこの物語に救いをもたらす存在であり、各登場人物に対する処方箋のような存在だ。
この人がいなければ物語は破綻していたとさえ言えるだろう。

前巻までは一読したことがあったが、この巻の途中からは全く読んだことがなかったので、とても新鮮気持で物語を楽しむことが出来ている。

結びの巻となる次巻も楽しみだ。

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気に入った表現、気になった単語


「先人ヲ追イ越スハ易ク
後人ニ超サレザルハ難シ
と、あるが、その語を今ほど痛切に覚えたことはない。柳生とならび称されて、一刀流の全盛を見、老来やや人生に安んじているまに、社会の後からはもう、こんな麒麟児が生まれつつあったのか--と、大きな驚きをもって、小次郎を見たものであった。」(P68)

「「--わしも、世間を去る」
と、忠明も立った。弟子の座の中に嗚咽がきこえた。男泣きに泣き出した者もあるのである。愁然と、うなだれ合っている弟子たちの頭を、ながめて、
「励めよ、皆」
忠明は、最後の--師の言として--師愛をこめていった。
「なにを憂い悲しむのか。おまえ達は、おまえ達の時代を、この道場へ、潑剌と迎え取らねばならぬ。明日からは謙虚になって、一層、精を出して磨き合えよ」」(P80)

「小次郎は飽くまで、忠明を眼下に見た。心で眼下に見ながら、口では、--自分も今日まで随分、達人にも出会ったが、まだ貴公のごとき剣に対したことはない。さすがに、一刀流の小野と音に響いただけのものはある--などと褒めて、おのれの優越感を、その上へもっと高めた。」(P81)

「君のため
世のため
なにか惜しからむ
すててかひある
いのちなりせば
「……でしょう。先生」
「意味は」
「わかってます」
「どう?わかってるか」
「いわなくたって。このお歌がわからなかったら、武士(もののふ)でも日本人でもないでしょ」
「ウム。……だが伊織。それならお前はなぜ、白骨を持ったその手を、さも汚いように、先刻から忌(いと)っているのか」
「だって白骨は、先生だって良い気持じゃないでしょ」
「この古戦場の白骨は皆、宗良(むねなが)親王のお歌に泣いて、親王のお歌どおりに奮戦して死んだ人々だった。--そうした武士たちの--土中の白骨が、眼には見えぬが、今もなお、礎となっていればこそ、この国はこんなにも平和に、何千年の豊秋(とよあき)が護られているのではないか」
「ア、そうですね」
「たまたまの戦乱があっても、それはおとといの暴風雨(あらし)のようなもので、国土そのものにはびくとも変化がない。それには、今生きている人々の力も大いにあるが、土中の白骨たちの恩も忘れては済むまいぞ」(P92)

「とたんに、伊織は
「あっ、日の出!」
指さして武蔵を振り顧(かえ)った。
「オオ」
武蔵の顔も、紅に染まった。
見る限りが、雲の海である。板東の平野も、甲州、上州の山々も雲の怒濤の中にうかぶ蓬萊の島々であった。」(P131)

「伊織はおぼろげながら、わが師と頼む人の境遇を、初めて考えてみたのだった。敵の多い人だということが子供ごころにも分った。
(おいらも偉くなろう)
いつまで、師の身を無事に、そして永く師を奉じるためには、自分も一緒に偉くなって、師を護る力をはやく持たねばならないと思った。」(P264)
師匠思いの伊織のいじらしさ。

「「なに、小次郎からの書状? ……」
仇と呼び合う者とはいえ、絶えたる者はなつかしい。まして、互いに砥石となって磨き合っている仇である。
武蔵はむしろ、心待ちしていた消息でも手にしたように、
「どこで会ったか」
と、その宛名書きを見ながら伊織に訊ねた。」(P271)

「獄から解かれた武蔵にはまた、将軍家師範という栄達が待っていた。
だが武蔵は、それよりも沢庵という友、安房守という知己、新蔵という好ましい青年などが、自分のような、一介の旅人に、席を温めて待ってくれる志の方に、遙かなありがたさと、人間の世の限りなき隣の恩を思わせられた。」(P283)

「「昨日、ご老中よりの御飛札により、お召しを承って罷りこした宮本武蔵と申す者でござる。控え所詰めお役人方までお申し入れ願わしゅうございます」」(P285)

「先には、藁草履の見すぼらしい一山僧にしか見えなかったが、そこに坐ると、運慶の鑿(のみ)の力にも劣らない権威を背なかに示している。」(P383)

「とある薮中(やぶなか)の石に、誰が刻んだか、こんな歌が彫ってあったのがふと見出されたのです。……
百年(ももとせ)の戦もせなさん春は来ぬ
世の民くさよ歌ごころあれ
と、いうのです。--これを見て私はなお胸を打たれました。七たび生まれてこの国を護らんと仰っしゃった大楠公の御心は、名もない一兵にまで沁み徹っていたものとみえまする。」」
(P395)


【えい‐たつ栄達】

[名](スル)出世すること。高い地位、身分を得ること。「栄達を重ねる」「栄達を願う」


【水見舞】
洪水や嵐などの水害のあったのを見舞うこと。

【平仄(ひょうそく)】
つじつま、条理。「平仄があわない」

【蒲柳(ほりゅう)】
体質が弱いこと

【千載(せんざい)】
一千年。長い年月。

【妖冶】
[名・形動]なまめかしく美しいこと。また、そのさま。妖艶

【ひっ‐せい 畢生】
一生を終わるまでの期間。一生涯。終生。「畢生の大事業」「畢生の大作」

【具相】
仏教で、相好を具えていること。また、それを具えているもの。

【相好】
①仏の身体にそなわっているすぐれた特徴
②顔かたち。表情。「相好を崩す」

奇特(きどく)/あだかも
=きとく/あたかも
現代とは発音が違う言葉。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2016年9月19日
読了日 : 2016年9月19日
本棚登録日 : 2016年9月9日

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