口の立つやつが勝つってことでいいのか

著者 :
  • 青土社 (2024年2月14日発売)
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感想 : 17
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「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづけるのだ」
書評で紹介されていたこの言葉にうたれた。タイトルもいい(読み出したら、予想とは違って、「口の立つやつ」とは著者自身のことだったが)。難病による困難を抱えるなかで書かれたエッセイ。なるほどと思うところがいろいろあった。

・差別に関わる物語によくあるのが、能力があるのに差別ゆえにその力を発揮できない人が、その状況を克服していくというパターン。差別は理不尽だ。しかし、能力のあるなしで社会的評価が決まるのは、それでいいのか。そこにためらいがほしいと著者は書く。「ためらい」という言葉がやさしい。ファンであるメッシについてふれながらこうも述べている。
「能力は美しいし、人を惹きつける。それはたしかだ。しかし、綺麗事ではなく、実際に、人は人を能力だけで評価しているわけではない。それもまた、たしかだと思うのだ」

・「『感謝が足りない』は、なぜこわいのか?」と題された章には、我が意を得たりという思いだった。今の世の中、感謝感謝という言葉があふれている。それ自体は美しい言葉であり感情であるのは間違いないけど、どうにも気持ち悪くて仕方がない。他者を思いやり親切にするのが当たり前であったら、過剰な感謝はいらないだろう。特に子供に感謝させようというのは、はっきりおかしいと思う。二分の一成人式とやらで、親や周囲に感謝させる。「育ててくれてありがとう」とか。いやそれは当然の権利でしょう。ことあらためてありがたがらせようというのは、何を狙っているのか。

・「『かわいそう』は尊い」という章でも、モヤモヤと思っていたことが言葉にされていた。「かわいそう」という言い方が、高みから見下ろしている感じがするのは間違いないけど、だからといって、その感情自体を否定したくはないと思うのだ。
「『障碍者はかわいそうではない』という認識は大切だし、社会を変えていかなければならないのはもちろんだ。しかし、まだ変わっていない社会にあって、同情してくれる人の存在はとても尊い。 『かわいそう』や同情をよくないこととしてしまっては、そういう人たちの気持ちも行動も萎縮してしまうのではないだろうか」

・著者には「絶望名人カフカの人生論」というヒット作がある。
「カフカによって救われたというのは、病気でも平気になったとか、いわゆる『病気を受け入れる』ということができたわけでも、まして『病気になってよかった』と思えるようになったわけでもない。今でも、病気は受け入れられないし、こんな人生はいやだし、嘆き続けている。しかし、ともかくも、生きている。立ち直ってはいないが、倒れたままで生きている」
この言葉には実にリアリティがあると思う。とても納得したし、うまく言えないが、救われたような気もした。誰の人生にも痛苦に満ちたことが起こりうる。それを受け入れよ乗り越えよというメッセージは多いが、自分はそんなに力強く生きていけるような気がしない。「倒れたまま」生きることならできそうだ。

・「あなたは本当はこう思っている」というよくある指摘を、著者は「無敵の心理学」と名付けていた。深層心理のことは本人にもわからないので、そう言われたら否定のしようがない。一種の暴力では?と常々思っていた。ほんと、無敵。

・「言葉とがめ」は無益だと述べているくだり。
「『こういう言葉は使わないようにしましょう』と言われて、『気をつけなきゃ!』と思うような人は、そもそもひどいことは言っていない。ひどいことを言っている人は、どう注意されようと、それが自分のことだと思わないし、直すことはない」
これは言葉の他にも当てはまることが結構ありそうだ。人権啓発とか交通安全のスローガンなどを見るたびに、誰に向かって言ってるんだろうと思う。

・覚えておこうと思った文二つ。
「弱さとは、より敏感に世界を感じとることでもある」
「どうか - 愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」
    (ヴォネガット「スラップスティック」から)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ・紀行・回想
感想投稿日 : 2024年4月9日
読了日 : 2024年4月8日
本棚登録日 : 2024年4月8日

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