内田先生、このタイトルはどうなんでしょうか。ちょっと読むのをためらってしまったじゃないですか。この後の新刊は「現代霊性論」だし。おそるおそるのぞいてみれば、良かった、いつものブログ本だった。
いつ頃からかあまりテレビを見なくなった。それでも、ごひいきチームの野球中継とニュースは見てたんだけど、野球はCMがしんどくなり、このごろはニュースを見ててもどっと疲れる。そんな繊細な人間かいなと自分でもあきれるが、なんだかみんな攻撃的で押しつけがましく感じられてため息が出る。
で、そういう時には教授にお出ましを願う。繰り返し読んできたフレーズを本棚から探してくる。知的でしかも市民感覚的にまっとうで、きわめて実用的なのが内田本のいいところ。今回ストックしたのは次のような箇所。
「道徳律というのはわかりやすいものである。それは世の中が『自分のような人間』ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になるということに尽くされる。それが自分に祝福を贈るということである」
「『公正で人間的な社会』を『永続的に、法律によって確実なものにする』ことは不可能である。それを試みる過程で100%の確率で『不公正で非人間的な政策』が採用されるからである。『公正で人間的な社会』はそのつど、個人的創意によって小石を積み上げるようにして構築される以外に実現される方法を知らない」
「人間の共同体は個体間に理解と共感がなくても機能するように設計されている。そのために言語があり、儀礼がある。…変わったのは家族ではなく、家族の定義である。誰が変えたか知らないけれど、ほんらい家族というのはもっと表層的で単純なものである。成員は儀礼を守ることを要求される。以上。それを愛だの理解だの共感だの思いやりだのよけいな条件を加算するから家族を維持するのが困難になってしまったのである」
- 感想投稿日 : 2010年4月13日
- 読了日 : 2010年4月13日
- 本棚登録日 : 2010年4月13日
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