「国語教材は実際どのような基準で選ばれているのだろう?」
そう立ち止まって考えることが、意外にも私にはこれまでなかった。
「山月記」がほとんどの教科書で採用されている理由についても、
「多くの人の心に強く訴えかけるものがあるからだろう」
と単純に考えていた。
もちろんそれは大きな原因の一つだと推測できるけど、しかしそれだけではないのだと、この本に教えられた。
教育者たちの教材観とは、つまるところ国語教育の目的そのもの。
そこには、読解能力と人間育成どちらを第一にすべきかという悩ましい問題がそびえたっていて、
社会、世論の考え方の変遷とともに指導要領もまた大きく変わってゆくため、
現場の教師はそれに対応するべく苦労を重ねてきた…そうした歴史の流れが見えてくる。
作中の一文にある李徴の「欠けるところ」。
それを授業のなかでどのように取り扱っていくかという問題だけで、
・課題学習の一環として
・生活概念の獲得として
・研究者的作品観によって
などいろいろな見方がある。
このめんどくささも、教育の奥深さの一端という感じだ。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2013年12月13日
- 読了日 : 2013年12月9日
- 本棚登録日 : 2013年12月13日
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