紅茶スパイ: 英国人プラントハンター中国をゆく

  • 原書房 (2011年12月1日発売)
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アヘン戦争後の1845年から1852年までの間の英国人プラントハンター、ロバート・フォーチュンの活躍、中国からチャノキを盗み出し、インドで栽培に成功するまでを著す。

イギリスの海外進出とともに、イギリスには喫茶の文化が根付いていた。茶はすべて中国(清)から輸入していたが、清王朝は日本以上の鎖国政策を敷いており、その栽培・精製方法はイギリス人には未知だった。ますます喫茶の文化が根付くイギリスは、茶を清から輸入せねばならない。その代金として、当時既にインドを支配しつつあったイギリスは、インドで生産したアヘンを清に売り、その代金で清から茶を輸入していた。

アヘン戦争の代償として、中国は広東、上海等5港を開港したが、実質、外国人が中国奥地に分け入ることはできなかった。ロバート・フォーチュンは、チャノキと茶の精製方法を盗み出すよう依頼を受け、上海に赴く。通訳ガイド・ワンを雇い、鞭毛をつけて変装し、万里の長城の向こう側の韃靼人のふりをして、中国奥地へと入って行く。当時の中国人は外国人を見たことがなく、万里の長城の向こうから来たと言えば、人々は信じたようだ。

通訳ワンの故郷は茶の産地。そこでチャノキと種子を手に入れることに成功する。チャノキは、ウォードの箱(ガラス製の小さな温室)に入れられ、インドのカルカッタに送られるが、インド側の手違いでガラスケースを途中で開けてしまい、苗木はほとんど腐らせてしまった。上海にいるフォーチュンとインドとの間は手紙でやり取りするしかなく、手紙が往復するのにひどく時間がかかった。再度送るのは1年後となったが、今度は種子を撒いた状態で配送する。途中で芽が出、苗木としてインドに送り届けることに成功した。

フォーチュンが茶を中国からインドを盗み出したことによって、今日、インドのダージリン地方は茶の一大名産地となっている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年11月5日
読了日 : 2012年3月23日
本棚登録日 : 2018年11月5日

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