岩波文庫版の荷風の随筆集上巻は、「東京」をめぐる随筆を集めるコンセプトであったらしい。
確かに、本書所収の文章において、永井荷風はひたすらに東京(市)内を散歩しまくり、明治後半から昭和22年くらいまでのこの地の風景と、本で知っている江戸時代の風情とを比較し、失われてゆく古い情緒への愛惜をしたためている。
荷風の見立てによると、パリは近代化にあっても古い建築物等との美的バランスが保たれていたとのことで、一方の東京の近代化ときたら、付け焼き刃の西洋の物真似や、橋梁などの味も何もない改造を嘆くしかないということのようだ。
その「失われ、滅び行くもの」と荷風自身の主体としての統合性原理が朽ちてゆくプロセスが、常に合致している。そうして荷風自身も老いてゆき、とうとう今で言う「孤独死」を遂げるのである。それは時代の変遷を強烈に呈示するかのような死であった。
「祖国の自然がその国に生まれた人たちから飽かれるようになるのも、これを要するに、運命の為すところだと見ねばなるまい。わたくしは何物にも命数があると思っている。・・・(略)・・・一国の伝統にして戦争によって終極を告げたものも、仮名づかいの変化の如きを初めとして、その例を挙げたら二、三に止まらぬであろう。」(「葛飾土産」1947《昭和22》年、P.266)
戦禍による都市の壊滅は、まさに「東京に生きた」荷風にはすさまじく感じられたことだろう。しかしその後東京は驚くべき回復・成長を遂げてゆくのだが、それは既に荷風のとは全く別の時代の物語である。
最近、荷風は私のお気に入りの作家の一人となったが、やはり私は随筆はあまり好きではないので、やはり小説の方を読みたいと思った。
- 感想投稿日 : 2021年12月9日
- 読了日 : 2021年12月9日
- 本棚登録日 : 2021年12月9日
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