意志と表象としての世界 (3) (中公クラシックス W 38)

  • 中央公論新社 (2004年10月10日発売)
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感想 : 15
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ショーペンハウアーについては、岩波文庫で高校生の頃、『自殺について』や『読書について』などを読んで興味を持ち、主著であるこの『石と表象としての世界』も是非読んでみたかったのだが、当時どうしても手に入らず、図書館にも無かった。
ずっとあとになってから入手可能となったが、なんと、あの西尾幹二の翻訳なのである。大嫌いな西尾幹二なんぞに印税が行くのはむかつくので、購入をためらった。
やっと今ごろになって、この本を読む気になったのだが、どうやら、遅すぎたようだ。
現在の私にはあまり面白くなかった。
主観と客観の対立に対して「表象」を持ってきたり、事物を「意志」のあらわれと見るショーペンハウアーの着想には、別に惹かれるものはなく、本書に散見される論理的甘さや、前提のゆるさ(時代ゆえの部分がほとんどなのだが)のため、どうも積極的に本書を評価する気になれない。最後の「第4巻」で生を苦痛とする、いわゆる「厭世観」が披瀝されるけれども、ここにも今更あまり共感できなかった。
強いて言えば、古代インド哲学を参照している部分は新しいかな、と思うが、私にとってはあまり新鮮ではない。
妙に自信があって決めつけるように断定しまくるあたり、心性傾向はニーチェに類していると思った。
かなり斬新な方向から、現代の誰か鋭い哲学者がショーペンハウアーを解釈し直してくれたら、新たな興味がわくかもしれないが、今の私にとってはつまらない本だった。高校生の頃、これを読めていたら、私はもっとショーペンハウアーにはまっていたかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2014年1月12日
読了日 : 2014年1月11日
本棚登録日 : 2014年1月11日

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