ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光

著者 :
  • 岩波書店 (2018年3月28日発売)
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感想 : 6
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亀山郁夫さんといえば私が知りうる限り、光文社古典新訳文庫で「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「悪霊」「白痴」などとドストエフスキー作品の翻訳を精力的に行い、東京外国語大学と名古屋外国語大学の学長を歴任し…とこれだけでも十分すごいのに、ショスタコーヴィチの本まで出すなんて!亀山さんのどこに、そのような時間、エネルギー、そしてモチベーションがあるというのだろうか。

この本での亀山さんの筆運びは、まさに微に入り細に入りという言葉どおりの細密度。でもはじめは、亀山さんのいわゆるオタク精神(=著述家としての亀山さんのスーパー凝り性)から来てるのかと思ってた。でも、オタクなだけではここまでモチベーションは持続しないはず。だからもう少し亀山さんをそこまでショスタコーヴィチ(以下「作曲家」と記す)に引きつけた“何か”を深く考えてみる。

ひととおり読み通した後で、亀山さんを作曲家にここまで強く引きつけたキーは、2人の『共通点』にあるのでは、と思い至った。つまり、亀山さんはショスタコーヴィチに自分と同質なものを多く見いだしたがゆえに、ここまでのめり込んだのでは?

ショスタコーヴィチは多作の部類で歴史的名作を書いたのは誰もが疑わないはずなのに、一方で「毀誉褒貶が激しい」音楽家である。「トランス状態のやっつけ仕事」と言う者もいるくらい。また時の権力に迎合しつつ自分の音楽家としての満足をぎりぎりの所で得ているように見える(亀山さんは「二枚舌」と表現)etc.
わたしがあえて冒頭で亀山さんの活動歴をあげたのはここに帰着させるため。亀山さんが多くの著作を世に出せば出すほど、評価が高まる一方で、まるで乱作を批判するかのような辛口のレビューも目にする(亀山さんの学界での一定の評価や書籍売上げの実績は誰もが認めてもよいと思えるのに…)。
作曲家も亀山さんも、自分の力を信じさえすれば優れた作品を世に出す才能を有してるのだという矜持の一方で、自己に内在する芸術の作品化というものと対極に位置する権力や世間の評価というものに目配せせざるをえないというような“矛盾”から身をかわし切れず、芸術に真摯に向き合えば向き合うほど苦悩を増大させたという点が共通しているのでは?

そして最終章に至って、いよいよ亀山さんが作曲家へ強いシンパシーを感じたのだと私は確信した。
作曲家は死ぬ間際まで、自分の満足できる作品を目指していたのだという。世界的な評価をすでに受け、もう“過去の栄光”でも十分生き永らえられるはずなのに、作曲家は満足に至らず、常に前作を上回る作品を書こうとしていたのである。
つまり、二枚舌や権力へのおもねりは、自己の作品の芸術的到達点をより高くするための方便だったのか、ということである(作曲家亡き今、その本心は知ることはできないけれど)。
そして亀山さんも、現状のロシア文学者としての一定の評価で落ち着くことを良しとせず、最後まで高みを目指す精神でありたいと考えているのならば、この400ページに近い大作を成し遂げずにはいられなかったことは改めて理解できる。

(※ちなみに私はショスタコーヴィチの曲はほとんど知らず、交響曲第□番と言われてもまったくピンとこないが、唯一知ってたのは交響曲第5番第4楽章。
これは朝日放送の「部長刑事」のオープニングで使われてたから、私と同じ年代の関西人なら誰でも知ってる曲で、知らないうちにショスタコーヴィチが刷り込まれていた(笑)。)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年3月1日
読了日 : 2020年2月29日
本棚登録日 : 2020年2月29日

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コメント 2件

goya626さんのコメント
2020/04/28

ショスタコーヴィチの交響曲は、5番が有名ですが9番も意外な曲でいいですよ。この本、気になります。

たまどんさんのコメント
2020/04/29

ルー・リードの“Metal Machine Music”のように世間的な「失敗作」という評価で括れない背景もしっかり自分なりに読み込んだうえで、レビューできるようになりたいですね。ショスタコービッチに限らず。
交響曲9番も聞いてみます。自宅でも検索ポンですぐ聞ける便利な世の中になりました。

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