朝永振一郎 見える光、見えない光 (STANDARD BOOKS)

著者 :
  • 平凡社 (2016年10月11日発売)
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感想 : 20
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ある書店でSTANDARD BOOKSのフェアをやっていたのに偶然に出会い、何の気なしに朝永振一郎を選んだ。

本書所収の随筆「鏡のなかの世界」は不思議な一編だ。だって朝永振一郎を含めた科学者の面々が「なぜ鏡には左右が逆に写るのか」を真剣に議論しているから。私ならば「なぜ左右逆かって?鏡なのだから左右が逆に写るのは当たり前じゃないの?」で終わってしまう。だが物質がそれぞれに有する法則性を解明しないと収まらないのが真の科学者らしい。言い方を変えれば「当たり前」でわかったつもりで終えることを良しとせず、物事を統御する真理を自分なりにつかみ取らないと納得できないのが科学者なのだろう。

そう思って改めて鏡のなかの像について考えると、確かに不思議な現象だ。と言うのは、自分自身を鏡に写した場合、鏡に写った自分自身には心臓が右にあるのだから。つまりトリックアートのように製作者がひねって作り出した架空のものではなく、この世に絶対的にありえないものが実存の姿として現れており、科学者のアンテナに引っかかるのもわからないでもない。

鏡に関してどんな主張が科学者から出されているか…「幾何光学」「心理的空間」などの一般的ではない用語が飛び交い、それこそ侃侃諤諤。まあその一編では結論は出ていないし、著者も改めて解答を導き出すつもりもなく、1つの事柄に科学者はこれほどまでに熱中できるのかというその熱量の大きさを文章にしたかったようでもある。

私は結局文系の学部に進んだけれど理科や物理などの自然科学にも若干興味はあるので、朝永の一連の文章もおもしろく読めた。とは言っても、朝永は論文以外で文章を小難しく書くのは好きではなかったようで、この本では原子核物理学のことも花鳥風月のことも同じような調子で書かれている。その証拠に、この本では冒頭に「鳥獣戯画」という一篇がまずあって、飼っていたねこの話や、自然が残る武蔵野の生活風景を書いた随筆が続くが、その後の理化学研究所や留学先での研究生活を書いた各編も同じトーンで読める。

私が一番印象に残った一編は「暗い日の感想」だ。大昔の爬虫類の体格やマンモスの牙が種の存続という目的から逸脱しているとも思えるくらい巨大化し、それゆえに滅びたのではないかと朝永は書く(P188)。そして人類が無自覚に原子力を追求していくことへの警告を朝永なりの比喩で発している。だが朝永は“正直”ゆえに、原子力の研究自体をストレートに否定していない。しかし憂慮はしている。なぜなら朝永自身が尊敬するアインシュタイン博士やオッペンハイマー博士ですら止められなかったほど“手ごわい”ものだからだ。そんな難解な命題を前に朝永がとった選択肢は「歴史の中での評価に委ねる」ことだった。

当初私は朝永に対して、カール・セーガンのように強くて明確な主張と姿勢ではない軟弱なものとして拒否反応が出た。しかし朝永がいくらその道の専門家だからといって彼だけにその責務を負わせるのは結局自分が責任転嫁しているだけであり、正しくはない。この大きな問題が1人の人間だけで解決できるわけがないのだ。だから朝永の文章からは、自分をリレーランナーのように考えて、バトンを落とさず自分ができる限りの力によって走り、そして次のランナー(次の世代)にしっかりとバトンを手渡せばいいと、そう読めるように思えた。

端的に言うと私たちのような物理学の素人が原子力の平和利用を求めるのに原子核理論を学ぶことが要求されているわけではない。一方でその素人の私たちがノーベル物理学賞を受賞する可能性は限りなくゼロだが、私たちの世代が朝永の意思を正確に読解して受け継ぎ次世代に伝えられれば、私たち国民全体としてノーベル平和賞を受賞できる可能性は、必ずしもゼロではない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年10月16日
読了日 : 2023年10月16日
本棚登録日 : 2023年10月16日

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