子どもが読むと、そんなことも知らないなんてウーフってまぬけだなあ、と思うのかも知れないが、大人が読むと当たり前だと思ってもう考えることをやめていたことにはっと気づかされる思いがする。
「さかなにはなぜしたがない」、「ウーフはおしっこでできてるか??」、「おっことさないものなんだ?」、「くま一ぴきぶんはねずみ百ぴきぶんか」、「ウーフはなんにもなれないよ」あたりに自分は自分であって他人と比べられるものではない、というテーマが見られる。
「くま一ぴきぶんはねずみ百ぴきぶんか」でウーフの
「くまは百ぴきぶんたべるから、百ぴきぶんはたらけば、いいんだ。」
という台詞に納得したのだが、次のお父さんの
「だれのなんびきぶんなんかじゃないんだよ。
おとうさんはくまだから、くまの一ぴきぶん。ウーフなら、くまの子一ぴきぶんさ。」
という台詞にそういう考え方もあったのだ、と気づかされた。
「ちょうちょだけになぜなくの」では、確かに普段の生活で殺さなくてもいいものを殺しているし、食べるために殺してもいる。
それなのに、どうしてうっかり殺してしまった、きれいなちょうちょだけを悲しむのか。
考えるときりがないし、正しい答えは見つからない。
だから、食べるときにはありがとう、という感謝の気持ちを忘れずに、というある意味偽善的な答えしか見つからない。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
2012/04
- 感想投稿日 : 2012年4月17日
- 読了日 : 2012年4月17日
- 本棚登録日 : 2012年4月17日
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