「アオイホノオ」に代表される最近はやりの「漫画界内幕もの」がついに永井豪先生の手で!
この手の「内幕もの」作品って、正直言うと新しいストーリーなどの創作能力が衰えてしまった先生御用達の作品スタイルだと勝手に思っているのですが、こう言ってはなんですが永井先生ももうそういう状況になってしまったのだな、と。
内容はちょうど、「ハレンチ学園」でギャグマンガ家としての人気と名声を得た永井豪(作品中はもじった別名にしてありますが)が、漫画家生命をかけて本格SF漫画の「デビルマン」を描こうとする作者の苦悩を描くもの。
今となっては永井豪といえばアニメ化作品も多数の=本格ファンタジー漫画の大家だが、デビルマン執筆前までは永井豪=ギャグ漫画家で、ストーリー漫画については認知されておらず、周りにもギャグ以外は期待されていなかった、という状況が描かれており、新鮮な印象。
そんなギャグ漫画家としての安泰した地位を投げ捨て、SF漫画1本に打ち込む永井豪の前に進もうとするパワーと姿勢には感銘を受ける。ギャグマンガが人気があったがゆえに、自分から打ち切りを打診しても編集部になかなか認めてもらえなかった、という状況。
また、ハレンチ学園当時のPTAやマスコミの漫画に対するバッシングに対する恨みつらみも率直に描かれている。当時のマスコミは作品時代へのバッシングだけでは飽きたらず、永井豪本人の人格否定のような報道も多かったらしい。
今となってはあまりに大物過ぎて、ちょっと普通の人間とは思えない特殊な天才のような印象がある永井豪。彼が新人当時、ひとりの若者として、今までにない新機軸への挑戦、ストーリー展開に悩むさま、ギャグマンガを続けて欲しい周りとの軋轢、バッシングへの恨みなど、ひとりの人間として苦悩するさま、というのは実に以外というか、等身大の永井豪を垣間見ることができる。
この作品、デビルマンの展開をどうするか毎回永井豪が考えぬき、読者の心をつかむようなシーンなどを実際にどうやって考えていくかの過程を細かく心理描写している。それはいいのだが、その時に過去に描いたデビルマンの漫画を作品内でもう一度書きなおしてしまっている。
つまりこの漫画の中には「若い頃の永井豪」を描く作品と「(若い頃の永井豪が描いた作品として)今の永井豪がもう一度描いたデビルマン」という2つの作品が混在していることになる。デビルマンはもうすでに作品として発表されているわけで、同じものをもう一度描く必要あるのかなあ?という感じ。これで単行本のページ数稼がれてもな、という感じ。
正直、漫画界そのものに興味がある人、永井豪がよほど好きな人以外には進められない、マニア向けの作品だと感じた。
- 感想投稿日 : 2011年3月9日
- 本棚登録日 : 2011年2月28日
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