事件の舞台はまたもや、アイルランドの修道院。
ジュディ・デンチ演じるフィロミナは、若い頃に夫ではない男性と関係を持って妊娠したことがあり、修道院に入れられた。
昔のアイルランドの修道院は刑務所の役割を担っていた、と言いたくなるくらい、そこでは、きびしい労働と思想統制が待っていた。我が子と会える時間は毎日、1時間だけ。
しかも、親子ともにずっと暮らしていけるわけではなく、修道院では、養子をのぞむアメリカ人に「望まれない」子どもたちを売っていた。立派な人身売買だ。あまりにひどすぎる設定だ。ところがこれはみな事実に基づいているのだそう。
フィロミナの息子アンソニーもまたその犠牲になる。ある日予告もなく、彼女は息子と引き離されたのだった。
何十年かのち、政府関係の職を失ったばかりの元ジャーナリスト、マーティン(スティーヴ・クーガン)は、ロシア史か何かの本でも書こうかと思いつつ次の一歩を出しかねていた。
そんなときにフィロミナとマーティンは、彼女の娘を介して知り合う。老境に入っていたフィロミナは、生き別れになった息子が今どうしているのか知りたがっていた。
恰好のネタを手に入れたマーティンは、フィロミナとともに息子を探すことに決めるーー
(ここまで来て、ひょっとしてマーティンとフィロミナが親子なのかも、というできすぎた直感がよぎったが、事実はもちろんより複雑だった。)
ちなみにマーティンは無心論者。フィロミナは今でも敬虔なカトリック。この両極端な2人がともに息子を探す旅にでることで、物語に2つの視点が与えられ、本作に視野の広さがもたらされている。
マーティンから見れば修道院の行いは、人身売買と悪質な隠蔽を行なった、重大な犯罪行為でしかない。
かたや、フィロミナにとって修道院は、自分という人間の土台を作ったものでもあるため、必ずしも憎悪しきれない。
そのために2人のあいだにはときに軋轢が生まれるのだけれど、ともに時間を共有することで互いを理解してゆく過程もまた見所のひとつ。
だからこそ、旅の果てにたどりついた場所でとったそれぞれの態度にはとても考えさせられた。
現代の視点からすれば100%許されざる野蛮な行為だとしても、当時のアイルランドではある程度「正しい」とされていたという歴史的事実もちゃんと考慮していて。
ともあれ当事者であるフィロミナがとったある態度のほうがマーティンよりも数段立派であり、彼自身それに気づいている。その立派な態度が、神に仕える修道院が本来教え体現すべきものであったという皮肉。
ある意味、フィロミナは修道院に対して、もっとも賢明な報復をすることに成功したというべきだろう。
- 感想投稿日 : 2022年2月18日
- 読了日 : 2022年2月18日
- 本棚登録日 : 2022年2月18日
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