この本、売れているようだ。
中公新書の(だから)、こんなかための本が売れるなんて、ちょっと言い方は悪いけど、まだまだ捨てたもんじゃないと思った。
同時に、またまた言い方は悪いけど、明らかに最悪の時期を迎えつつある日本社会で本書が売れるという現象に戸惑う。いや、最悪だからこそ?と故・橋本治なら言うかもしれない。
さて、本書はオノマトペ(擬音語・擬態語)研究から出発する。日本語はわりとオノマトペの豊富な言語だ。逆に英語は、オノマトペは副詞的に用いられずすぐに動詞化されるため、種類は少ない。
いずれにしても筆者たちは「記号接地問題」つまり、言語というのはその根っこに身体的経験による支えがなければ意味を理解できないのではないか問題という観点から、オノマトペに可能性を見る。
つまり、オノマトペの持つアイコン性がアナログな身体とデジタルな言語の橋渡しをするのではないかという仮説に立つのだ。
言語学者のソシュールは、言語は差異の体系であり、記号と意味には恣意的な関係しかないと喝破したが、しかしそのように抽象的に進化する以前の言語はいったいどのように生まれるのか.....
本書は、子どもの言語習得のプロセスに注目しながら、言語が抽象化されていく以前の段階を探る。
そこから見えてくるのは、人間という生き物は過剰に「一般化しすぎな動物」であるということ。そのさい、「アブダクション」という推論エンジンを用いるほぼ唯一の動物であるということ。
(私はずっと、昆虫を始めとする動物は人間よりも論理的な生き物だという表現を繰り返してきたが、これはより正確に言えば、「演繹的」だということを確認した。
「帰納的」推論を行えるようになればもうちょっと高等。チンパンジーとか。)
このアブダクションにより、人間はどんどんと言語を抽象化していける。するとオノマトペはかえって不便になってきて、言語の細分化、差異化が行われるようになる。
もうひとつ、今気がついたが、人間は何にでも「類似性」を見出してしまう生き物でもある。見立てが上手、というか、見立てずにはいられないのだ。
おそらく、哲学的な抽象概念も、人間のこの性質によって生み出されたに違いない。
オノマトペは、おそらく相手がいるからこそ、相手に何かを伝えたいからこそおのずと生み出された言語だと思うと感慨がわく。
その「相手」というのはおそらく、ひとつには自分の子どもだろう。音真似によって、快・不快や、欲求を伝えてほしいがために、こちらがオノマトペによって子どもの感情を表現してみせる。本書を読みながら、自分が本能的に行なっていたことはそういうことだったのか!といろいろ納得のいくところがあった。
- 感想投稿日 : 2023年11月2日
- 読了日 : 2023年11月2日
- 本棚登録日 : 2023年11月2日
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