去年読んだ『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ』の著者の、別の本。タイトルや装幀をネットで見たときから、なんとなく医学書院の〈ケアをひらく〉シリーズのような気がしていたが、手にしてみると亜紀書房の本だった。前の本は、もとが博論ということもあって、論文ちっくな文章だったが、この本は「ですます」体で書いてあって、印象がだいぶ違った。
この本は、精神科の病院の《造形教室》で作品をつくってる人たちの「自己表現」の意味?を考えていて、作品の図版がカラーとモノクロで入り、主に4人の作品とその作者の話をつうじて、「心病む人にとっての表現」を手がかりに考えたあれこれ、が書いてある。
▼私が試みたいのは、生みだされた個別の表現物(=作品)と、それを生みだす場の力を同時に捉えつつ、自己表現が表現者の〈生〉にいかにかかわるのかを読み解くことです。(p.28)
そして著者は、「〈もの〉としての表現だけでなく、その背後にある〈こと〉としての表現も捉えるような考え方」(p.29)と、「表現者という一人の人間の〈生〉と、表現された作品の両方を、なるべく同時に捉えるような考え方」(p.30)とに基づいて書き進めていきたい、と記す。
自己表現と〈癒し〉の普遍的な関係性を考えたいという著者は、心病む人たちのための理論や療法を作りあげたいわけではない。そのためには、個々人の深層を掘り進めていく作業に徹するよりほかにないのではないか、という。
「心のアート展」(東京精神科病院協会に加盟している病院に入院あるいは通院している方たちの作品を展示するアート展)についてのインタビューで、こうしたアート展を開催する意義について問われて答えている中で、著者はアートのもつ「異化」のはたらきを語っている。
▼アートはきっと「いつもとは違った角度から社会を見つめ直す」きっかけを与えてくれると思います。(p.41)
作品として発表されたもののもつ思いがけない可能性について書いているところは、この本のキモやなと思った。
▼もしかしたら、「絵が自分の意図を超えていく」という点にこそ、アートを通じた自己表現の可能性があるのかもしれません。「アーティスト」というのは「自分の気持ちや考えたことを、正確に表現できる技術を持った人」のことではなく、むしろ「自分が生みだした表現に、自分自身が驚くことができる感受性を持った人」のことなのかもしれません。(p.251)
著者が、自己表現と〈癒し〉の普遍的な関係性を考えたいというのは、なにも、ビッグデータを解析して、心病む人にとってアートとはこうだと言うことではないのだ。あくまで一人ひとりの表現を、一人ひとりが感じたその先にある「なにか」を見つけるようなこと。そのことは、巻末に書かれたこの一文によくあらわれていると思う。
▼一人ひとりの想像力と感受性に働きかけて、かけがえのない「一」の重みや大切さを伝えること。その「一」の傷つきや苦しみに対する想像力や感受性を、いわば「社会資源」にまで育てていくこと。そこにこそ、アートの存在意義があるのかもしれません。(p.275)
作品の図版を見て感じることもあったけど、できることなら、ナマの作品現物を見てみたいと思った。それと収録されている作品のなかに、あの人の絵に似てる!と思ったのがあった。この本を読んで、あの人の絵も、心の中身を吐きだすようなものから、表現することで、自身の苦しみの事実そのものを受け止め、認めていけるようになったのかなーと思った。
(7/23了)
- 感想投稿日 : 2014年7月30日
- 読了日 : 2014年7月23日
- 本棚登録日 : 2014年7月23日
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