敵役の(魅力的な)描写がないと(魅力的に限らず、愚劣、臆病、被害者面する事なかれ主義者でも何でもいい)、小説としては全然面白くない典型。実に淡々と準備をし、淡々と討ち入りし、淡々と泉岳寺に引き上げていく。確かに、吉良上野介が何もしなかった、用意周到でなかったという展開は、それでいいが、ならば、どうしてそうなのか、何を考え、何を見落としたか、文治主義の権化、権威主義の権化でも何でもいいので、その心中に迫って欲しかったところ。著者の発想なら上野介が善、赤穂浪士が悪でも良かったかも。吉保も敵役ではないしねぇ。
柳沢吉保や徳川綱吉を含む幕府側の思惑、近衛ら朝廷側の思惑、その暗躍の中で翻弄された吉良上野介、そして、狂言回しに利用された赤穂浪士という構図が本シリーズからは想定されるが、ならば、その一方の策士たる近衛ら朝廷側の思惑が一切語られないのは、片手落ちだし、上記構図の説得力や小説としての面白さを失わせる。これ、本当に「空白の桶狭間」と同一著者なのだろうか?
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
小説
- 感想投稿日 : 2017年1月22日
- 読了日 : 2017年1月22日
- 本棚登録日 : 2017年1月22日
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