9月21日は賢治忌。(1896~1933年)『文豪きょうは何の日?』より。
今年は宮沢賢治没後90年ってことで!
敢えて詩集をチョイス。
賢治にはまるで、
顕微鏡でしか見られないレベルの微生物から、一瞬で成層圏を超えてはるか彼方まで見渡せるような、
六道全てが常に見えているような、
地球が生まれてからまた星屑となるまでの長い時間を一瞬で駆け抜けるような、
不思議な大きさを感じる。
それでいて清々しいのに悲しくて、透き通っているのに暗黒でもあって。
それからどの詩も、声に出して読みやすい。
読むとリズムが良くて心地良い。
『恋と病熱』
"透明薔薇の火"という言葉が、高熱にうなされることのメタファーとして使われる。
"つめたい青銅(ブロンズ)の病室で
透明薔薇の火に燃やされる"
ブロンズのひんやりとした静かな冷たさと、薔薇の、文字通り燃えるような熱さの対比が、
この世に存在しない"透明薔薇の火"を使っていながらも、これ以上無いほどに伝わってくる。
『春と修羅』
タイトルだけは知っていたが、恥ずかしながらきちんと読むのは初めてだった。
とても難しかったが、注解や、あれこれ用いてなんとか少しでも掴みたかった。
まずざっと読んで分からない言葉の意味を調べ、心を空っぽにしてゆっくり読んだ。
賢治が詠う景色を、文字のまま浮かべていった。
本作で賢治は涙をこぼしていたけれど、仏教用語や、鉱物や、植物、様々な色が登場し、私にはとても美しい光景だった。
美しいけれど、大地も空模様も殺伐としていて、大きく力強くて。
宇宙をも感じるくらいだった。
六道で"修羅"は争いの世界とされる。
そもそも心象スケッチなのだから、
春と修羅=理想と葛藤 なのかな。
それを岩手の風景になぞらえて表現したのだろうか。
自分の内から蔓が伸びている。
蔓植物は何かに掴まらなければ上へ伸びていけない。
「くもにからまり」は、"雲にからまり"なのか"蜘蛛にからまり"なのか議論があるらしいが、注解にもあるように"雲"だと感じた。
"ZYPRESSEN"とはドイツ語で糸杉とのことなのだとか。
ドイツ語が用いられてることより、イメージとしてはゴッホの描いた糸杉のような…と注解にはあった。
私は2005年の春に竹橋の国立近代美術館でゴッホの糸杉を見ている。
(フライヤーと半券をスクラップしている)
賢治もまた、あのように黒々とうねりながら空へ向かって伸びる糸杉を見ていたんだろうか。
しっかり理解したわけではないけれど、読むほどに「春と修羅」が好きになるのは何故だろう。
自分の感情が暴れるのをどうにも出来ない歯痒さや怒りは、私も知っている気がする。
その感情は苦しくて醜くて黒いものだと感じていたけれど、賢治の手にかかるとそれすらある種の美しさを感じるから不思議だ。
激しい感情が波打つけれど、(2度出てくる)"おれはひとりの修羅なのだ"と言い聞かせることで、静めようと(着地させようと?)しているように感じる。
文字の配置も同じように波打っている。
信心深くて、博学で、デリケートな彼には、この人間界はどのように見えていたのだろう。
私達とは全く違う世界(=我々とは宇宙そのものだ=釈迦の教え)を見ていたのかもしれない。
瞋(しん)は仏教用語で三毒のうちの1つ。
釈迦(シッダールタ)は結局のところ、煩悩はこれら三つに尽きると説いた。
貪欲・瞋恚・愚痴(とんよく・しんに・ぐち)が、それにあたる。
・貧欲
貪るように欲して飽きないこと
・瞋恚
自分のみを是とし、他人を非として生まれる怒りの心
・愚痴
道理をわきまえずに愚かなこと
(鶏は貪欲、蛇は瞋恚、豚は愚痴の象徴とされていて、東京事変ファンの方はご存じかも)
『永訣の朝』
"あめゆじゅとてちてけんじゃ"
"雨雪(霙)を取ってきてちょうだい"、という話し言葉が呪文のように思える。
淡々とした男性の声での朗読の途中で、そこだけ女性の声で台詞が入るかのように、
リズムが変わるような感じがした。
「永訣の朝」は、妹のトシを亡くして暫くしてから書いたものらしい。
賢治の頭の中には、
"あめゆじゅとてちてけんじゃ"が何かの呪文のように響いていたのかもしれない。
(詩の途中で台詞が入るという形をとっているのは、「永訣の朝」だけではないけれど。)
"Ora Orade Shitori egumo"
急にローマ字が現れる。
"あめゆじゅ…"と同じく括弧書きの為、誰かの台詞か。
この部分をどう解釈するのかは、まだ判明していないらしい。
私は2つの感じ方を得た。
1つ目は、妹トシの台詞。
「おらはおらで、一人でゆく」といったトシの言葉を、賢治は受け入れがたくて、
前の台詞よりも更に呪文のようなローマ字表記にしたのではないか?
2つ目は、賢治の台詞ではないかという考え。
独り言だった為、トシに聞こえないように呟いた(あるいは思った)為、
解りづらいローマ字表記としたのではないか?
ただその後の括弧書きである"うまれでくるたて……"がトシの台詞である為、ローマ字部分も同じようにトシの台詞なのだろうか。
ちなみに"うまれでくるたて……"は、
"今度生まれてくるときは、こんなに私のことばかりで苦しまないように生まれてくるね"という意味だ。
歌曲『星めぐりの歌』
この曲には思い出がある。
高校生の頃、演劇部(今思えば、ほぼミュージカル部)に属していた。
とある台本を手にした時、劇中で宮沢賢治の星めぐりの歌を歌うシーンがあった。
けれど、台本には歌詞はあれど譜面がなかった。
今ならYouTubeもある。サブスクもある。
メロディーを見つけるのは簡単だが、当時はネットすらなかった。(いや、社会にはあったのか???)
結局誰がどう見つけてきたのか覚えていないのだが、『雨ニモ負ケズ』の次に私が宮沢賢治の詩だと意識したのは、
『永訣の朝』よりも『春と修羅』よりも、この『星めぐりの歌』だった。
今もそらで歌える。
厳しくも美しい北国の自然が、鉱石などの様々な物質に例えられる。
その科学的な響きが、それらを一層キラキラと美しいものに感じさせてくれる。
賢治が詠ってくれている北の風景は、だいたい頭の中に浮かべることが出来る。
ただ、難しいと感じるのは何故だろう。
この目でその雄大な自然を目にしていたら、もう少し掴めるのだろうか。
- 感想投稿日 : 2023年9月21日
- 読了日 : 2023年9月21日
- 本棚登録日 : 2023年9月21日
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