超ヤバい経済学

  • 東洋経済新報社 (2010年9月23日発売)
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感想 : 155

一応経済学という単語がタイトルに含まれているが、必ずしもお金のやり取りにかかる経済に限らず、人々が何をインセンティブにして決断をするか、得するためのインセンティブはどこにあるのかについてさまざまな事象や実験を元に語られている。どこにインセンティブがあるのか、ないのか、どうやったら行動変容を促すことができるのか、特に行動変容に関しては必ずしもソリューションがあるわけではなく、モノによっては非常に長い時間をかけないと変わらないものがある(あった)ということなのだろうか。ただ合理的に判断し、ソリューションを提示しても、車のシートベルトや妊婦の死亡率を低減させるのが難しかったとの記載がある。それだけ人の行動を変えるのは難しく、心情に訴えるのではなく、どういったらインセンティブを与えることになるのかを考えなくてはならないということをこの本では言いたかったのでは無いかと思われる。

P.30
政治と経済学はアメリカでは特に相性が悪い。政治家はありとあらゆる理由をつけて、ありとあらゆる法律を作るけれど、彼らがどれだけいいことをしたつもりでも、彼らの作る法律は本物の人びとが本物の世界でインセンティブにどう反応するかがてんでわかっていない。
アメリカで売春が法律で禁止されると、取り締まりの労力の大部分はお客よりも売春部に向けられた。これはまったくよくあるやり口だ。他の違法行為の市場と同じようにーー麻薬の取引や銃の闇市場を考えて欲しいーー政府はだいたい、モノやサービスを消費する人たちよりも供給する人たちを罰するのを好む。
でも、供給する側を牢屋に放り込めば希少性が生じ、必然的に価格は高くなり、供給する側になろうという人がもっと市場に参入してくる。アメリカの「麻薬撲滅戦争」はどちらかといえばうまくいかなかった。それはまさしく、買う人じゃなくて売る人を標的にしたからだ。麻薬を買う人はどう考えても売る人よりも多い。それなのに、麻薬関係の罪の懲役は、のべ年数で測って90%は売人が食らっている。

P.33
チェザール・マルティネッリとスーザン・W・パーカーはともに経済学者である。2人は10万人を超えるオポチュニダデスの対象者データを分析した。彼らは、生活保護を申し込む人たちがある種のモノについてしょっちゅう実際より過少に申告しているのを発見した。乗用車やトラック、ヴィデオ録画機、衛生テレビ、洗濯機なんかがそうだ。でも、これに驚く人はいないだろう。生活保護を受けたい人たちには、自分は実際よりももっと貧乏だってフリをするインセンティブが働く。でも、マルティネッリとパーカーの発見によると、そういう人たちはその他のモノに関しては課題に申告していた。家の中にトイレがあるとか水道水が来ているとかガス・ストーヴがあるとか床はコンクリートだとか、そういうことだ。(中略)マルティネッリとパーカーは恥ずかしいからだという。どう見ても生活保護を受けないといけないほど貧しい人でさえ、ウチの床は地べたですとウチにはトイレもないですとか、福祉関係の役人に言いたく無いってことだ。

P.38
150年以上も前、フランスの経済学者フレデリック・バスティアは、『ろうそく職人の陳情書』で、「ろうそく、テーブル・キャンドル、ちょうちん、ろうそく立て、街灯、芯切りばさみ、ろうそく消しの製造者」、加えて「獣脂、石油、松脂、アルコール、およびアカリにかかわるありとあらゆる一般の生産者」の利益を代表して陳情すると書いている。
バスティアの陳情によれいは、これらの産業は「国外の敵との破壊的な競争に苦しんでいる。敵はわが国における明かりの生産に比して明らかに有利な条件の下で活動しており、信じがたい低価格でわが国市場を自分の製品であふれさせている」。
この卑劣なる国外の敵とは?
「他でも無い、太陽である」とバスティアは書いている。彼は、全国民が家に日光を入れるのを禁じる法律を作るようにフランス政府に懇願している。

P.81
テロが効果的なのは、直接の犠牲者だけでなく、あらゆる人に負担を強いるからだ。そんな間接的な負担のうち一番大きいのが、また攻撃されるかもという恐怖である。(中略)もっと見えにくい負担も考えてみよう。たとえば時間と自由が奪われることだ。この前空港でセキュリティ検査の列に並んだときのことを思いだしてほしい。靴を脱がされ、ストッキングの足で歩いて金属探知機をくぐらされ、それからよたよた歩きながら自分の荷物をまとめないといけなかったでしょう。
テロの美しいところは(中略)失敗したって成功するかもしれないという点だ。靴を脱いで云々なんて決まった手順をフマされるようになったのは、リチャード・リードというイギリス人のせいだ。この人は靴にいれた爆弾を起動させるのには失敗したが、ぼくたちに莫大な代償を払わせるのには成功した。

P.155
ちょっと見られているというだけでぼくたちの行動は変わったりする。イギリスのニューカッスル・アポン・タイン大学で心理学の教授を務めるメリッサ・ベイトソンという人が、自分の学部の休憩室でこっそりと実験を行った。普段、先生たちはコーヒーやなんかの飲み物の代金を「正直者の箱」に入れて払っていた。毎週、ベイトソンは価格の表を変えた。値段はまったく変わらないのだが、表の上に載っている小さな写真が変わるのだ。奇数の週には花、偶数の週には人の二つの目を乗せた。代金表から人の目が見ているとき、ベイトソンの同僚たちが正直者の箱に入れる額は3倍近くになった。(中略)監視と選択バイアスに加えてもう一つ考えないといけない要素がある。人間の行動は頭がクラクラするほど複雑な、インセンティブ、社会規範、判断の枠組み、過去の実験から拾ってきた教訓の組み合わせに左右されるーつまり文脈というやつだ。ぼくたちが実際やっているような行動をするのは、具体的な状況の下で与えられた選択肢とインセンティブに対し、そういう行動をするのが一番得るものが大きいと思うからだ。こういうのは合理的行動とも呼ばれている。つまり、経済学の考え方そのものだ。(中略)実験室という文脈は避けようもなく人工的なものになる。ある学者が1世紀以上も前に書いてあるように、実験室での実験は人間を「バカなロボットに変えてしまう力がある。「研究者が一番ほしいと思っている結果を報告し、ありとあらゆる手を尽くして彼を手助けしようとけなげに振る舞うバカなロボット」だ。心理学者のマルティン・オルネは、実験室は志位いられた協力とでも呼ぶべきものを助長すると言っている。

P.176
「障害を持つアメリカ人法」(ADA)を考えてみよう。障害を持つ被雇用者を差別から守るべく作られた法律だ。(中略)でも、データをどう見ても、差っぴきすればこの法律のおかげで障害を持つアメリカ人の仕事は減っている。(中略)雇い主は、障害を持つ人だとろくに仕事をしなくても罰を与えたりクビにしたりできなくなるんじゃないかととても心配して、最初から障害を持つ人を雇わなくなってしまったのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2024年1月15日
読了日 : 2024年1月15日
本棚登録日 : 2024年1月15日

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