図書館で借りてきた本。
この本は、著者がいろいろな雑誌で連載した文章を集めた、所謂「エッセイ集」みたいなものだった。
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
これはもともと「A2」の題名にしようかと考えて、結局キャッチコピーみたいなものになったらしいが、しかし、この一文は「A」撮影日誌で既に出て来てる言葉なんだよね。
ってことは、「A2」を撮影するときは既に筆者の頭の中ではこの言葉があったはず。そして、彼の文章を読んでいると折に触れこの一文が出て来ている。おそらく、この一文は彼の根幹をなすものだと思う。この言葉が基本になって彼は何かを思い、何かを撮影し、何かを書く。
この中で忘れられない話。
著者が小学校2年のとき、大阪から転校してきた女子生徒がいた。その子は家が貧乏だったようで、学級費や給食費をいつも持って来なかった。いつも同じ貧しい身なりだった。
同級生からは「臭い」だの大声で囃されていたが、その子はいつも薄い唇を噛み締めて無言で机の一点を見つめていたそうだ。
あるとき、著者が家に帰る途中、その子と会い、著者はその子から「家に遊びに来ないか」と言われ、その子の家に行く。その集落(部落はと言った方がいいのか)はあばら屋が密集しているところで、家の横の溝には米屋野菜の切れ端が浮かんでいて悪臭を放っていた。そういうところに少女は住んでいた。
著者が遊びに行くと母親はとても喜び、あめ玉を一つもらった。それから二人で遊んだのだが、その様子を同級生の誰かが見ていたらしい。
翌日、著者が学校に行くと「アイツと遊んだのか」と言われる。「臭くなかったか」「臭くなかった」「あそこは朝鮮部落だぞ、お前知らないんだろう」と言われたとき、ちょうどその子が教室に来た。
著者は言ってしまう。「見るなよ」「臭いんだよ、あっちにいけ」と。周りのみんなははやし立てた。と同時にその子の表情が微妙に変わった。怒りでも憎悪でもなく悲しみとも少し違う。
30年も前の話だそうだ。だが、著者はそのときの少女の表情が忘れられないという。この経験は著者の「トラウマ」だという。しかし、このトラウマを抱え続けて生きていかなければいけない、と思う。彼女に見つめ返されたときに感じた泡立つような後ろめたさをこれからも絶対に忘れない。
そんな話だった。
- 感想投稿日 : 2014年2月14日
- 読了日 : 2010年1月8日
- 本棚登録日 : 2014年2月14日
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